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小宮果穂「ドーナツのクズ、メロンパンの車」

http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1601217277/

1 : ◆eodXldT6W6 2020/09/27(日) 23:34:37.64 ID:PHaCgA4wO
以前こちらに投稿した小宮果穂「クズミさんがゴミを捨て」に加筆修正を加えたものになります。

2 : ◆eodXldT6W6 2020/09/27(日) 23:36:33.31 ID:PHaCgA4wO

ゴミというのは意識の外に放り捨てたものだ。もはや考えないようにしてしまったもの、それがゴミである。ゴミの分別とは、そうして意識の外に放り捨てたものを、再び意識化することに他ならない。考えないことにしたものについて再び考えなければならないのだから難しいのである。
─國分功一郎『暇と退屈の倫理学』

「良いおこないをする人、その人をまねればいいのよ。そして、充分長い間、充分うまく真似をすれば、余計な毛は切り落とされて、みなさんはよこしまな猿ではなくなるのです」
─レイ・ブラッドベリ「歌おう、感電するほどの喜びを!」


3 : ◆eodXldT6W6 2020/09/27(日) 23:37:07.27 ID:PHaCgA4wO

久住「暑いなぁ~」


 影の無い白く光る通りを歩きながら、久住は紙袋を持った手をぶらぶらさせながらまいったように声をあげた。


久住「あかん、ちょっと休も」


 若々しい緑色が目に入り、そちらに目を向けると桜の木に囲まれた公園が地面に影を作り、避暑地のふりをして人を呼び込んでいるのが見えた。

 そこはすべり台、ブランコ、ジャングルジムといった典型的な遊具がある典型的な公園だった。

 久住は空き缶やペットボトルが無分別のまま溢れ出しているゴミ箱を一瞥してから自販機に小銭をいれた。500mlペットボトルのコーラを買うと、久住はベンチを探して公園を見渡しながら歩いた。

 ベンチは自販機から遊具を挟んだ向こう側にあった。ベンチはホームレスが就寝できないように中央には鉄製の仕切りが備えられているタイプでそこにはすでに先客がいた。

4 : ◆eodXldT6W6 2020/09/27(日) 23:37:41.08 ID:PHaCgA4wO

 その女の子はすらっとした長い脚をピンと伸ばし、木陰になっているベンチで一息ついているように上を向いていた。暑さにまいって脱力しているのか、ベンチに浅く腰掛けいまにもずり落ちてしまいそうだったが90度の角度に足首が曲がっていて、踵のところだけがストッパーの役割をして女の子をベンチに留めいていた。

 女の子は足音に気づくと顔を上げ、仕切りの向こうに置いてあった荷物を自分の膝の上に置き、久住のために座る場所を作った。


久住「ええの?」

果穂「はい。影になってるのこっちだけですから」


 女の子の言う通り、木陰にあるのはそのベンチだけだった。


久住「じゃ、ちょっととなり失礼しますー」


 久住はそう言いベンチに腰掛けると、ペットボトルの蓋を開け黒く泡立つコーラを飲み出した。

 半分以上を一気に飲み下し、爽快な気分とともにゲップをした。

 ペットボトルを口から離した久住は隣の女の子がキラキラした目でこちらを見ていることに気づいた。

5 : ◆eodXldT6W6 2020/09/27(日) 23:38:35.30 ID:PHaCgA4wO

久住「なに?」

果穂「あっ、ごめんなさい。コーラをごくごく飲めるの凄いなって……」

久住「あー、まあこんだけ暑いとなー。そっちは? 水分補給ちゃんとしてる?」

果穂「はい! マイボトルです! これでごみを出さずにすむんです! サステーナボゥ……ディベロップメン……ゴーです!」

久住「声大きいなー」


 久住は果穂に好ましい笑みを向けた。


果穂「えへへ、よく言われます」

久住「ここで何してんの? 待ち合わせ?」

果穂「はい。これから友だちと遊びに行くんです」

久住「こんなあっつい日に外で待ち合わせとか死ぬで。近くにコンビニあるから電話して場所そこに変えたらええのに」

果穂「友だち、スマホまだ持ってなくて」

久住「いまどき珍しいなー。自分、高校生やろ?」

果穂「いえ、小学六年生です!」

久住「ほんまに? うわー、しっかりしとるからもっと大人や思った」

6 : ◆eodXldT6W6 2020/09/27(日) 23:39:30.24 ID:PHaCgA4wO

 久住のリアクションは相手の気を良くさせるほど良い大げささを纏っていて、果穂は自分が大人っぽくみられたことに照れくさく思いながらも悪い気はしなかった。


久住「小六かー。中学なったらめっちゃ部活の勧誘きそうやん。いまなんかスポーツとかやってるん?」

果穂「じつはあたし、アイドルなんです!」

久住「えーっ、マジで? 」

果穂「はいっ! 小宮果穂、放課後クライマックスガールズです!」

久住「小宮の果穂ちゃんか、ちょっとググってええ?」


 久住はスマホで果穂が名乗ったグループ名を検索し、コードレスイヤホンで曲を視聴した。久住は曲に合わせるように頭を小刻みに揺らし、果穂は久住がリズムをとっている様子をドキドキしながら見守っていた。


久住「ええ曲やん。果穂ちゃんの声一発でわかったわ」

果穂「ほんとですか!? ありがとうございます!」

久住「ええもん教えてもろたわー。あ、そや」


 久住は思い出したかのようにベンチに置いてあった紙袋を持ち上げ、袋の口を開いて果穂に差し出した。

7 : ◆eodXldT6W6 2020/09/27(日) 23:40:16.01 ID:PHaCgA4wO

久住「果穂ちゃん、ドーナツ食べる?」

果穂「いいんですか!?」

久住「ええよ、ええ曲教えてくれたお礼」


 紙袋のなかのドーナツはどれもカラフルで目を引いた。ストロベリーミルクのピンク、抹茶の濃い緑、チョコレートとホワイトチョコレート、サクサクしていそうな狐色のオールドファッション。スプリンクルがまぶされたおいしそうなドーナツたち。果穂の目は輝き、どれを選ぼうか本気で迷った。ついに果穂がどれにするかを決めドーナツに手を伸ばしたそのとき、久住は紙袋を持った手を引っ込めた。


久住「あ、あかん。これ人にやるやつやった」

果穂「あっ、そうなんですか……」

久住「ごめんなー。そや、代わりにこれあげるわ」

果穂「なんですか?」

久住「おれのツレが工場持っとってな。そこで作っとるお菓子」


 久住がシャツのポケットから取り出したのは円筒状のクリアケースだった。ケースを透かして中身が見える。カラフルなトーロチ状のものがケースいっぱいに詰まっている。ドーナツEP。久住がクリアケースを一振りするとカシャカシャと音を立てて中の色が跳ねる。軽快なリズムと踊るような色の跳躍に果穂の目が輝いた。

 
久住「おいしかったら、友達にも配ったって」


8 : ◆eodXldT6W6 2020/09/27(日) 23:41:20.48 ID:PHaCgA4wO

 久住はクリアケースの蓋を開け、言った。久住の手が鉄製の仕切りを越え、ケースの中のドーナツEPのカラフルさが直接果穂の目に入る。果穂は水を掬うように両手を差し出した。久住がケースを傾ける。ドーナツEPがカラカラと互いにぶつかって鳴りながら果穂の手のひらに転がり落ちていく。

 突如として、二人の間に一羽の鳩が舞い降りる。ベンチを二分する仕切りに留まりながら、羽を折りたたむことなくバサバサと羽ばたかせている。悪しきものを追い払おうとするかのような羽ばたきのせいで、果穂は受け取るはずだったドーナツEPをすべて取り落としてしまった。


果穂「ご、ごめんなさい! あたし、ちゃんと受け取れなくて……」


 地面に広がったドーナツEPの色彩は古代の占いのようであった。葉蔭の黒と白い木洩れ日による明暗が別れた地面にひろがるその色とりどりの紋様を見た果穂は背筋の凍る思いに襲われた。意図せず悪事を働いてしまった人のように理性ではどうすればいいか分かっているのに感情に極端な負荷がかかり、行動に移ることができないでいる。

 固まったままの果穂をよそに久住は足元に転がっているピンク色のドーナツEPをひとつ摘み上げ、ベンチの仕切りに留まったままの鳩の嘴に近づけていった。

 鳩はゆっくりと近づいてくる久住の手を見つめていたが、嘴の先がドーナツEPの孔にすっぽり収まろうとする寸前に突如自由になったかのように飛翔した。

9 : ◆eodXldT6W6 2020/09/27(日) 23:42:32.59 ID:PHaCgA4wO

久住「神の使いか。守られとんなー、果穂ちゃん」


 久住はにっこり笑って果穂に言った。久住の声音はそれまでとまったく変わっていなかった。変わっていなかったにもかかわらず、果穂は心が締め付けられるような息苦しさを感じた。なぜだがわからない。声の調子はさっきまでと同じ明るくて楽しげ、でもなにかがちがう、ちがっているのは……


 笑顔だった。


 久住は鳩が拒んだドーナツEPを犯罪の物的証拠を川に向かって投擲するかのように投げ捨てた。色づいた違法薬物はその小ささのために地面に落ちた瞬間は見えず、空中で消失してしまったかのようだった。

 果穂は動揺をいよいよ隠しきれなくなっていた。笑顔の変化はとてつもなく微妙で、言葉によってその違和を言い表すのはほとんどできそうになかったが、それでも果穂を不安をもたらした。

 久住はドーナツをかじっていた。袋を見もせずに適当な一つを選び、無表情で咀嚼したあと、口の中のドーナツを飲み込みもしないまま久住はボソッと呟いた。


久住「あかん、おいしない」


 食べかけのドーナツを袋の中に戻した久住は、ドーナツがつぶれるのも気にせず無造作に紙袋を握りつぶすと、ベンチの背後に広がる草むらへ振り向きもしないで投げ捨てた。紙袋はきれいな放物線を描き、草の上にかすかな音をたてて落ちていった。

 果穂はただ呆然とその様子を見ていた。

10 : ◆eodXldT6W6 2020/09/27(日) 23:43:20.42 ID:PHaCgA4wO

 久住はコーラの残りで口の中のドーナツを飲み下すとベンチから立ち上がり、木陰から日向へ歩いていった。久住の全身が陽の光に照らされ、紫色のシャツが艶やかに色づく。久住は果穂へ振り返り、手を振りながら言った。


久住「それじゃ、果穂ちゃん。悪い奴に気ぃつけやー」

果穂「えっ……あっ……あ、あの!」

久住「え、まだなんか用?」


 果穂の頭の中では、投げ捨てられドーナツの紙袋が宙に放物線を描く様子が、リモコンで映像を操作するように再生と逆再生を何度も何度も繰り返していた。映像の中になにか不気味なものが映り込んでいて、その微かな存在を目で捉えてしまったことは目の錯覚だったと証明したいがために映像を注視し、かえって不気味なものの輪郭をはっきり掴んでしまう、そのような恐怖を知覚するプロセスが果穂の脳内で進んでいた。


果穂「たべもの……そまつに……」


 食べ物を粗末にしてはいけない、というただそれだけの言葉を果穂は最後まで口にすることができなかった。久住が成人男性であるということが理由なのではなく、果穂があたりまえとしてきたルールや道徳の外側に久住は住んでいるのだと察知してしまったからだった。

 肺を強打された人間が呼吸できなくなるのと同じように、果穂は久住と会話をかわすことが困難になっていた。


11 : ◆eodXldT6W6 2020/09/27(日) 23:44:13.82 ID:PHaCgA4wO

久住「あー、さっき言うとったな、SDGsやらなんやら。あんなんただの目標やん。意味ないで」

果穂「そ、そんなことないです! 地球を守るための大事な決まりごとなんです!」

久住「がっかりさせて悪いけどな、ほとんどの大人はそんな目標知らんで。知ってても守ってへんよ。決まりごとやなくて、目標なんやから。今日できへんことは明日しよーって、ずるずる先延ばしにするだけやで」

果穂「な、夏葉さんはちがいます! 放クラのみんなも、プロデューサーさんも……」

久住「その人ら、死ぬまで続けられるん? 十年、二十年かけて目標達成しても、はいそこで終わりちゃうで」

果穂「で、できます! みんな、すごい人たちなんです!」

久住「果穂ちゃんが言うならそうなんやろうな」


 久住の同意に、果穂は正直、面食らった。考えなしに言った反射的な言葉が予想に反して効果を発揮したのだろうか。久住が主張を和らげたことに果穂はホッとし、安堵の笑みを浮かべそうになった。気が緩んで、額から流れる汗の感覚にこそばゆさが感じられた。このとき、果穂はまだ久住を親しみやすく朗らかに話す関西弁の青年だと信じていたかった。

12 : ◆eodXldT6W6 2020/09/27(日) 23:45:52.87 ID:PHaCgA4wO

久住「でも結局、人間死んだらゴミやしな。生きとるあいだだけええことしてもしゃーないんちゃう?」


 果穂ははじめ、久住の言っていることが理解できなかった。理解しかかったとき、果穂は無意識にそれを拒否した。人間は死んだらゴミになる。生きてるあいだにどれだけ善行を重ねても、それが無価値になる。それどころか害悪になる。存在の根本からして正義などありえない。

 果穂にはまるで悪魔が善人を嘲笑っているかのように聞こえたが、久住にとってはごくあたりまえの事実を言ってのけただけに過ぎなかった。


久住「どうしたん、その顔? もしかして知らんかった? 若いなー。果穂ちゃん、世の中まっとうな死に方できる人間ばっかちゃうで。黒ーい泥水に飲み込まれて誰にも知られんまま、腐って骨になった名無しの権兵衛さん、おれはようけ知っとるよ。そのどさくさで強アルカリ水のタンクに入れられた奴もおったなー。火事場泥棒の、まあ火事場ちゃうけど、泥棒同士の仲間割れでな。もう十年くらい経つかー。いまドロッドロやな、そいつ」


 言葉の途中で久住は地上に光と熱をもたらす太陽を見上げた。地上にはじめて光をもたらしたそのときから変わらず天に在します太陽は、久住が口にした十年という年月が過ぎ去るまえもそこにあり、その不変性は過去への入口であるかのようだった。

 久住は右手の親指と中指で太陽をつまむようにしていた。よく見ると指のあいだにさっき投げ捨てたものとは別のドーナツEPがあり、久住はその穴越しに太陽を見上げているようだった。


久住「生きとったらゴミ出す、死んだらゴミになる。そんな存在が地球の環境を守ります言うても信じられへんよ、説得力ゼロやん」


 太陽を見上げていた久住は果穂へ視線を戻した。そして指先をゆっくりと振るい、果穂の背後にあるベンチを指した。

13 : ◆eodXldT6W6 2020/09/27(日) 23:46:29.60 ID:PHaCgA4wO

久住「まあ、やりようがないわけでもないけどな。ほら、そのベンチ、鉄で出来た仕切りあるやろ。それ、ホームレスが夜寝られへんようにするためのものやで。街をキレイにするには見えとるゴミを拾うんやなくて、はじめからあるゴミを見やんでいい仕組みをつくる。逆転の発想やな。よう考えられとるで」


 果穂は久住の指先につられてベンチを見た。久住の指先と言葉はまるで魔術師のように果穂に作用し、視線はいいように操られ、いままで見ていなかったものを果穂に見させた。ベンチという物体しか見えていなかった果穂に、ベンチが設置されている公園がどのような思想に基づいて設計された空間かを理解させ、この空間が意図的に排除した存在に意識を向けさせた。


久住「この街はキレイなもんだけ見たい人がどんどんキレイして汚いもんは目に入らんくなっていく。ま、来年、オリンピックあるしな」


 何事もなかったかのように、久住はまた明るい青年へ戻った。大袈裟な芝居を解いたようでもあり、あるいは、大袈裟な芝居を始めたようでもあった。


久住「ほな、果穂ちゃん、しっかり考えて汚いもんなくしてってなー」


 そして、久住は立ち去った。

14 : ◆eodXldT6W6 2020/09/27(日) 23:47:30.34 ID:PHaCgA4wO

 果穂はしばらく立ち尽くしていた。はっと思い出し振り向く。紙袋が草の上に転がっている。袋の口から潰れて混じり合ったドーナツの破片が吐瀉物のように溢れ出ている。よろよろと歩いていき、破片をひとつひとつ力なく拾って紙袋に戻す。袋の中身は無残な様子だ。色とりどりだったドーナツのコーティングはバラバラになって、はらわたが飛び出たみたいだ。果穂は袋の中を覗き見る。破壊されたゴミだった。あんなにもキレイでおいしそうだったドーナツをゴミとして捨てなければならない。

 果穂は罰を与えられたような気持ちだった。

 しばらくのあいだ泣くのを堪え、果穂は歩き出した。そうせざるをえなかった。草の上から地面にもどり、ベンチの横を通り過ぎると、自販機とその横にあるゴミ箱が目に入った。おそらくは缶やペットボトルを捨てるためのものでドーナツのクズを捨てるのには相応しくないだろうが、とにかく近づいて確認してみることにした。

 自販機横のゴミ箱から凹んだ空き缶やベタついた包装フィルムのペットボトル、沈殿した飲料が残るドリンクカップ、いくつものお菓子のゴミが透けて見えるコンビニのレジ袋、食べカスがこびりついた串、タレが濁ったプラスチックのパックなどが溢れた液体で汚れたビニールのゴミ袋からあふれだしていて、下の地面だけでなく、自販機本体の側面まで汚していた。

 久住が言った通りのろくでもない現実の一端、それが果穂の目の前にひろがっていた。

17 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:44:39.10 ID:7MqFVx3xO

伊吹「志摩」

志摩「なんだ」

伊吹「しーま、しましま」

志摩「ポニョの歌みたいに言うな。なんだよ」

伊吹「ひまー」

志摩「仕方ないだろ。何もないんだから」

伊吹「なんか事件起きないかなー」

志摩「刑事が事件を望むな」

伊吹「なんかいい感じの事件起きないかなー」

志摩「いい感じってどんな感じだよ」

伊吹「なんかこう平和な感じ? 被害者はいるけどそこまで深刻じゃなくて、犯人は捕まったことがきっかけで立ち直って、そんでおれがいい感じに活躍できる事件?」

志摩「そんな都合のいいことあるわけないだろ」

伊吹「じゃあ、なんも事件が起きないってのは?」

志摩「そんな都合のいい世の中か?」


18 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:45:54.07 ID:7MqFVx3xO

 信号がメロンパンのような緑色に変わった。志摩がアクセルを踏み込み、まるごとメロンパン号を発車させる。メロンパンの移動販売車に偽装した張込み用の覆面車は法定速度でゆっくり進み、緑と白黒で塗り分けられた車体に追い越していく自動車を反射させている。

 志摩と伊吹は機動捜査隊に所属していた。彼らの役目は事件が発生した場合いち早く現場に駆けつけ迅速な初動捜査を行うことであり、いまは管轄区域のパトロールの最中だった。

 志摩がハンドルを握り車道を走る車に注意を向けているなか、助手席の伊吹は頬杖をついて窓の外を眺めていた。

 街は太陽の光を浴びて燦々と輝いている。帽子や日傘で日光から逃れようとしている人びと、配達に急ぐ出前太郎の自転車、猛暑のため蝉の声が聞こえない夏だった。

 メロンパン号の走行とともに見える景色も変わる。ビル街から突如、緑色に輝く木々の葉が伊吹の眼に映る。とはいえ不思議な小径を抜け森の中に入っていったわけではなく、公園に差し掛かったというだけのことだった。木々の切れ目から公園に設置された遊具を伊吹はサングラス越しに垣間見える。ブランコ、すべり台、天辺の部分だけが黄色であとは水色のペンキで塗られたジャングルジム、色分けされたジャングルジムの手前に赤い自販機があり、その横のゴミ箱の前で女の子が紙袋を握ったまま佇んでいる。


19 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:46:47.94 ID:7MqFVx3xO

伊吹「志摩、ストップ」


 さきほどの雑談と異なる声のトーンを聞きつけた志摩が相棒のほうに振り向く。


志摩「どうした?」

伊吹「公園、様子がへんな子がいた」

志摩「迷子か?」

伊吹「いや、どうだろ」


 公園の駐車スペースにメロンパン号を停め、伊吹が女の子を見たという場所にふたりは向かう。

 伊吹が言った通り、たしかに女の子はいた。

 しかし志摩が考えたいたのはゆたかくらいの小学校低学年の児童であって、背の高い(160センチ以上か?)高校生くらいの子なのは想定外だった。


伊吹「どしたの~。もしかして迷子~?」


 猫なで声で話しかける伊吹に志摩はツッコミたくなった。案の定、女の子はあからさまに戸惑っていて、このままでは警察を呼ばれるかもしれない。

 こいつと組んだ初日にもそんなことあったな……と志摩は内心でひとりごちた。

 呆れる相棒をよそに伊吹は警察手帳を取り出し、女の子に見せながら言った。志摩も女の子を安心させるためならばと相棒にならって警察手帳を提示する。


伊吹「おれら、こう見えても警察だから、道わかんないなら聞いて?」

志摩「下手くそなナンパか」

伊吹「何言ってんの志摩ちゃん、この子まだ小学生じゃん」


20 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:47:49.09 ID:7MqFVx3xO

 伊吹の言葉に志摩は眼を見張った。言われてみると、たしかに女の子の服装は容姿のわりに幼い気がする。

 女の子のほうも驚いているようで、手に持っている紙袋をぎゅっと握りしめながら伊吹の言葉にうなずいた。


伊吹「どうよ? この伊吹アイの確かな目」

志摩「ダジャレかよ、センスがおっさんだな」

伊吹「おっさん言うな。おっ、そのドーナツ評判いいやつじゃーん」


 「ナイスセンス~」と伊吹は馴れ馴れしく褒め言葉を口にしたが女の子はさっきからずっと浮かない様子だった。志摩は不審に思った。女の子に気づいた伊吹に迷子かと訊いたとき、伊吹は判断を留保していた。いまこうして女の子の態度を間近で観察していると、ただの迷子だと思わなくなっていた。


志摩「そのドーナツの袋ってきみの? ずいぶんクシャクシャだけど」

果穂「えっと、その……捨ててあって……」

志摩「それでここに捨てようと?」

果穂「あっ、ちがって、男の人が捨てていって……」

志摩「ちょっと中身の確認させもらってもいいかな?」


 志摩は女の子からおそるおそる差し出された紙袋を受け取り、なんらかの不審物の可能性も考慮しつつ中身の確認をおこなった。不審物は見受けられなかった。だが袋の中を見た志摩は思わず顔をしかめた。コーティングやトッピングが破壊され、色彩の配置が滅茶苦茶になってしまった見るも無残なドーナツたち。悪意によって潰された揚げ菓子は見るものを不快な気分にさせる。


伊吹「ひでーな」


 隣から覗き込んだ伊吹がぼそりとこぼす。


21 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:48:51.80 ID:7MqFVx3xO

志摩「さっき言ってた男の人が捨てていったって言ったよね? どんな感じの人だった?」

果穂「えっ……で、でも……」

伊吹「大げさって思うかもしんないけど、指定されたところ以外にゴミを捨てるのは不法投棄だから。きみは実際に犯行の現場を目撃してる。このドーナツをどうにかするのはおれたち警察の仕事」


 伊吹はサングラスを外し女の子に目線を合わせる。そして、ゆっくりと真意を伝える眼をしながら女の子に笑いかける。


伊吹「だから、話してくれて大丈夫」


 果穂はもどかしそうに唇を震わせていたが、やがて口を開きさっき公園で出会った青年についてぽつりぽつりと話し出した。

 伊吹は眼を合わせながら話に集中していることを果穂に示している。志摩はその横でメモを取りながら、この内容を不審者情報として生活安全課に伝えることを頭の中にメモする。


伊吹「そいつ、ほかになにか言ったりした?」


 果穂は青年が言ったことを正確に思い出そうとした。だが、あの青年がいったいどういうつもりであのようなことを口にしたのか果穂にはまったく分からなかったし、おそらくこれからもわかることはないだろう。解釈不可能な存在に出会い、ぶつかったとき、それを言葉で記述するのは思想家ですら困難な作業で大量の紙幅を用意する必要がある。まだ小学生である果穂にとって久住のことを説明するのはできないことであった。だから、果穂は最も印象に残っていた単語を口にするしかなかった。

22 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:49:55.32 ID:7MqFVx3xO

果穂「ゴミ……」

伊吹「ゴミ?」


 伊吹は思わず訊き返した。


果穂「直接、言われたわけじゃないんですけど、でも、人間もゴミなんだって……」


 衝撃を受けた瞬間はそれを痛みと認識できないように、果穂はようやく久住の言葉にひどく傷ついている自分に気づいた。

 果穂の目に涙が浮かんだ。大人の前で泣きたくはなかった。せめてもの抵抗でシャツの袖で涙を拭う。半袖のシャツだから拭うのが難しかった。


果穂「人間はゴミだから、いいことしても無駄だって……」


 涙ぐむ果穂に伊吹は言葉を失っていた。人間=ゴミという思想は伊吹にとっても不可解であり、そのため対応に遅れがでてしまった。



志摩「いいかな」


 相棒の戸惑いを察知したかのように志摩が果穂に声をかけた。


23 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:51:21.38 ID:7MqFVx3xO

志摩「きみが人の言うことを真剣に受け止めていることはわかった。でも、悪意まで受け止める必要はない」

果穂「悪意?」

志摩「人間はゴミでいいことをしても無駄っていうのは、その男にとっては真実かもしれない。でもそれをわざわざ反論できであろうきみに伝えたのは悪意以外の何物でもない。真面目に議論するフリして相手を傷つけて楽しんでるだけだ」

伊吹「あとさ、果穂ちゃんは自分のしたことに自信持っていいよ」


 微笑みを取り戻した伊吹が言った(果穂の名前はさっきの事情聴取のときに聞いていた)。


伊吹「ひどいこと言われても、負けずにしなくちゃいけないことをやったんだ。それってジャスティスレッドみたいじゃん」


 果穂はハッとし、伊吹を見つめ返す。伊吹は果穂のショートパンツのポケットで揺れているストラップを指差し微笑む。

 伊吹は勢いつけて立ち上がり、特撮番組のヒーローよろしく変身ポーズをとり「変身! ジャスティスレッド!」とセリフまで完コピしてみせた。

 驚きながらドキドキワクワクしている果穂とは対照的に志摩は伊吹の唐突な奇行にドン引きしていた。

24 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:52:15.81 ID:7MqFVx3xO

志摩「ジャス、えっ、なに?」

伊吹「えっ、知らねーの?」


 伊吹は変身ポーズの姿勢を維持したまま言った。


志摩「知らねーよ、なんだよジャスティスって。胡散臭い」

果穂「ジャ、ジャスティスレッドはヒーローです! 正義の味方なんです!」

志摩「あ、はい」

伊吹「謝ったほうがいいよ」

志摩「……ごめんなさい」

果穂「い、いえ!」


 大人の男性から謝罪を受けた果穂は初めての経験に心がドギマギしたまま黙ってしまった。

 微妙な空気が流れる。志摩は伊吹に視線を向ける。ニヤニヤして、めずらしく相棒が困難な状況に陥っているのを楽しんでいる様子だ。

 痺れを切らした志摩がついに気まずい沈黙をやめた。

25 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:53:07.41 ID:7MqFVx3xO

志摩「なんだこの空気。ていうか結局誰なんだよ、ジャスティスレッドって」

伊吹「ダメだねー、志摩。そんなじゃゆたかの話についてけないよ」


 伊吹はまた大袈裟な身振りを披露しながら、ひとつの殺陣を志摩にむかって放った。


伊吹「うけてみろ! ジャスティーンソード!」


 今度は志摩にも思い当たるものがあった。ゆたかの名前が先に出ていたからかもしれない。必殺技の名前にも覚えがあったし、自分に向かってくる伊吹の挙動も視覚的な記憶として覚えの有るものだった。


志摩「あっ、あれか。ゆたかの好きな特撮ヒーローの」

伊吹「やっと思い出した」

志摩「いや、でもおれそのとき刑事役だったんだけど。ヒーロー、刑事殺しちゃってんだけど」

果穂「そ、それは違います!」


 発作的な発言に大人ふたりは発言者である果穂を視線を向ける。


26 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:54:00.57 ID:7MqFVx3xO

果穂「たぶんそれは第17話『あぶない?相棒 キレイ好きハリー』の真似です! ジャスティスレッドと推理がヘタなキレイ好きハリーが相棒になって事件を捜査するんです。それで犯人の怪人を見つけるんですが、男の子を人質にとってジャスティスレッドにハリーを攻撃するよう脅すんです! それで仕方なくジャスティスレッドはハリーに必殺技を放つんですが、それはウソでハリーはやられたフリをして男の子を助けて、そしてジャスティスレッドが敵をやっつけるんです!」


 大量の熱意にあふれた言葉に志摩と伊吹はおもわず圧倒された。どちらともなく「おぉ……」という感嘆の声が洩れる。

 興奮が冷めていくにつれ、果穂は自分が失態を犯したような気分になりつつあった。ふたつの間の熱量は互いに等しくないと双方の間を循環せず、熱は拡散し冷め切った空気だけが残される。アイドルとして仕事をするにあたって、そのような冷たさを味わったことも一度や二度ではなく、ときにはプロデューサーに諫められたりもした。

 果穂はまたさきほどの気まずい沈黙が流れるのではないかも不安になりながら、志摩と伊吹を見上げた。

 そこにあったのは、無邪気な称賛の笑みを浮かべる伊吹と感心したように優しげに目を細める志摩の表情だった。


伊吹「すげえよ、果穂ちゃん。よくそんなに覚えてるね」

志摩「ほんとうに好きなんだ、ジャスティスレッドのこと」

果穂「っ!……はいっ!」


 果穂は感極まりそうになった。このふたりはわたしがアイドルだということを知らないのに、わたしの好きを肯定してくれた。勢いにまかせた説明だったのにちゃんと受け止めてくれた。心の中から放たれた生の感情が否定されない。そのうれしさを感じられることの大切さを果穂はあらためて知った。


27 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:54:40.91 ID:7MqFVx3xO

伊吹「よし。じゃあ、正義の味方の相棒としてあのゴミでも片付けますか」


 明るい声を出しながら、伊吹は自販機横のゴミ箱へ近づいていった。あとをついてくる志摩に伊吹は振り返り訊ねる。


伊吹「志摩、メロンパン号にゴミ袋あったよな」

志摩「あるけど、軍手はないぞ」

伊吹「手袋ならあんじゃーん」

志摩「あれは初動捜査に使うやつだろ」

伊吹「細かいこと気にすんなって」

志摩「細かくねえよ。ていうかゴミどこに持ってくんだよ」

伊吹「えっ、分駐所だけど」

志摩「できるか」

伊吹「じゃあ、志摩ん家」

志摩「じゃあ、じゃえねよ。おまえが持って帰れ」

果穂「あのっ!」


 果穂が声をあげた。


果穂「わたしも手伝っていいですか?」

志摩「もちろん」

伊吹「大歓迎」


 ふたりの言葉に果穂の表情がパッと明るくなる。

28 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:55:38.04 ID:7MqFVx3xO

 メロンパン号のバックドアが開けられ、そのなかを見たとき、果穂の表情はさらに輝いた。万国旗、赤い自転車、紺色のジャンパー、その他のさまざまな小道具たち。使い方が検討のつかないものも幾つかあったが、その検討の付かなさが逆に果穂の好奇心を刺激した。


果穂「なんだか秘密基地みたいです!」

伊吹「あとでまた見る?」

果穂「いいんですか!?」

伊吹「もちろん。なあ、志摩?」

志摩「何もなければな」

伊吹「よしっ、じゃあ速攻で片付けよう。変身!」

果穂「ジャスティスレッド!」

伊吹「ダッシュ!」

果穂「負けません!」


 ふたりはメロンパン号からゴミ箱まで一気に駆け抜け、あっという間に見えなくなった。


志摩「小学生か」


 志摩は呆れたように笑って、ゆっくり歩きながらゴミ箱へむかった。

 三人はとりあえずペットボトルや缶などの飲料容器以外のゴミを片付けた。それから溢れ出している分のペットボトルなどを別のゴミ袋にいれる。ゴミ箱の容器をすべて片付ける必要はなく、あくまでキャパシティをオーバーしている分のゴミだけを処理していく。

29 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:56:23.05 ID:7MqFVx3xO

果穂「あの、志摩さんも伊吹さんも刑事さんなんですよね?」


 片付けがひと段落して、各々が飲み物を飲みながら休憩しているとき、果穂がふたりに訊いた。


伊吹「そうそうー。おれ、見た通りエースだから」

志摩「言ってろ」

果穂「やっぱり悪い人を捕まえたりするんですか?」

伊吹「んー、なくはないけど、おれら機捜だからなー」

果穂「キソウ?」

志摩「機動捜査隊。事件があったとき最初に現場にかけつけて聞き込みをしたり証拠をあつめたりするのが仕事」

伊吹「そういうの初動捜査っていうんだけどね、情報を集めたら他の部署に引き継ぎして、また事件があったらそこに行ってまた聞き込みと証拠集め」

志摩「ドラマとかで主人公の刑事に現場の状況を伝える人がいると思うけど、あれが機捜だと思っていいよ」

果穂「でも、それってすっごく大切な仕事ですよね?」

志摩「うん。すごく大切」

伊吹「地味だけど大切。まあ、拳銃は携帯できたりするけど」

果穂「拳銃ですか!?」


 果穂の大声に志摩と伊吹が驚く。


30 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:57:09.01 ID:7MqFVx3xO

果穂「なんだかヒーローの武器みたいでカッコいいです!」


 果穂は無邪気だった。正義と悪の二元論のもとで正義を行使できる拳銃を正義の象徴として果穂は考えていた。


伊吹「ヒーローの武器かー。でも怪人相手じゃ頼りないよな」

志摩「まあ、怪人だし」

果穂「どうかしたんですか?」


 果穂はふたりの雰囲気の微妙な変化を察知した。怒っているわけでなく、あくまでさっきまでと同様に優しく穏やかな態度だったが、口を開くまでに僅かな逡巡があり、言葉に対する緊張感が口元に滲み出ていた。
 すこししてから、志摩が口を切って話し始めた。


志摩「正義ってさ、信じてるあいだは強いんだよ。何の疑いも持たずに他者の振る舞いを制限できる、その根拠が正義だったりする」

志摩「正義によって行使される力は強い。でも、正義そのものは行使される力に耐えられるほど強くない、ときもある」

志摩「治安を守るために拳銃を撃たなきゃいけないこともあるかもしれない。でもそれはとても厳しい条件を満たしてなければいけない。まあ、怪人相手ならいいんだろうけど」

果穂「えっと……」

伊吹「志摩」


 伊吹が志摩の名前を呼び、そして言った。


31 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:57:53.15 ID:7MqFVx3xO

伊吹「むじぃよ、何の話かまったくわかんない」

志摩「いや、おまえは分かれよ。警察官だろ」

伊吹「なんとなくは分かんだよ。でも、こうなんつうか納得しづらいっていうか腹の底にすとんって落ちてこないっいうか」

志摩「じゃあ、おまえはどう考えてるんだよ」

伊吹「んー、おれはさ、機捜の仕事が気に入ってんだよ。だれかが最悪の事態になる前にとめられる、それがおれらの仕事だからさ」


 伊吹はそこで一度言葉を切り、舌にすこし力を込めて言った。


伊吹「だから、おれは拳銃は抜かない。最後の手段をとるまえになんとかしたい」

果穂「さいごの手段……」


 果穂は噛み締めるようにふたりの言葉を反芻した。自分の態度が現実離れしていることはなんとなく理解できた。どこ間違っていたのだろう? 危険な犯人を逮捕するためには拳銃が必要なのだと思ってた。でもそれは最後の手段だって、最悪の事態だって言っていた。最後、最悪、それが意味するのは……

 果穂のうなじを濡れた蜘蛛の足のようなさむけが走り抜けた。


32 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:59:02.00 ID:7MqFVx3xO

果穂「あのっ! わたし、ちゃんと考えてませんでした……拳銃、人に向けたら……」

志摩「きみはちゃんと考えてる」


 志摩は果穂の後悔を遮るようなやわらかい声で言った。


志摩「だから、悲しくならなくていい」


 果穂は志摩の言うとおりにしようと思った。すこし時間はかかったが、なんとか言うとおりにできた。もう悲しくはないし、後悔もしていない。でも考えることだけはしていこうと、このとき果穂は強い気持ちで考えていた。


伊吹「よしっ、じゃあ約束通りメロンパン号お見せしますか。行こっか」

果穂「はいっ!」


 力強い返事とともに三人はメロンパン号へ戻っていった。

 果穂は楽しそうにメロンパン号の中を探検している。

 その様子を見ながら伊吹は運転席にあるボタンを押そうとする。「メロンパンのうた」が流れるそのボタンに伊吹の指が触れたそのとき、警察無線から声が聞こえた。


──警視庁から各局、〇〇所管内より強盗事案入電中、現場はXX、近い局どうぞ


 無線は続けて犯人の特徴を伝える。伊吹はボタンから無線に手を伸ばし、それまでとは打って変わって職業的な淡々とした声で無線に応えた。

33 : ◆eodXldT6W6 2020/09/28(月) 23:59:52.02 ID:7MqFVx3xO

伊吹「機捜404から警視庁、〇〇より向かいます」


 伊吹は運転席から果穂に振り返って言った。

 
伊吹「ごめん、おれたちもう行かなきゃ」

果穂「い、いえっ!」

志摩「こっちから降りて。ゆっくりでいいから」


 志摩は果穂の手を取って、ゆっくりとメロンパン号から下ろした。バックドアを閉めると、助手席へ向かう。

 駐車場からメロンパン号がバックで発車する。道路に出る前に窓が開いて二人が顔を出す。


伊吹「気をつけてね!」

志摩「今日暑いから、水分補給しっかり!」


 果穂が返事をしようとしたそのとき、車道を挟んだ向こう側の歩道を慌てた様子で走り抜ける男の姿を目撃する。

 果穂はそちらを指差し、叫んだ。

34 : ◆eodXldT6W6 2020/09/29(火) 00:00:24.75 ID:bZV+O8ybO

果穂「あのっ! 向こうのあの人!」


 果穂が指差した方向を二人が見る。伊吹は横断歩道の信号が青になっていることを同時に見てとり、次の瞬間、運転席から飛び出し疾走する。豹のような敏捷な運動に果穂が呆気にとられているとパトランプの音が響きわった。耳を押さえながら果穂が音のした方向に視線をやると、志摩が運転席に移りメロンパン号で車道に出て追跡を始める。伊吹は瞬く間に横断歩道を渡りおえていて、みるみる犯人に接近していく。
 


果穂「すごい……」


 果穂は熱い感情を抱きながら、もう見えなくなった伊吹の疾走と志摩のドライビングを公園の入り口付近で何度も何度も思い返していた。
 それは大好きな特撮ヒーロー番組がもたらす興奮とは別種の熱くて震えを催す感情だった。
 

35 : ◆eodXldT6W6 2020/09/29(火) 00:02:32.36 ID:bZV+O8ybO

 後日、東京で起きた同時多発テロ事件の渦中に見覚えのある移動販売車があることを知った果穂は、プロデューサーやユニットのメンバー、社長、事務員のはづきにまで必死になって訴えた。あの車に乗っていたのは刑事で、自分はその二人に助けられたと。


果穂「伊吹さんも志摩さんも、ほんとうにすごい警察官なんです! ぜったいにこんなことはしません!」


 果穂の訴えを真剣に聴きつつ、事務所は判断を留保した。いちアイドルが社会的にデリケートな状況に対して意見を表明するのは、ファンあるいはファンでない人間に許容される行動なのか。


果穂「あたし、助けたいんです……本当のことを知ってるのに、黙ったままでいたら、もうヒーローを目指すことはできません……!」


 しばしのあいだプロデューサーは動かず思案しているかのように沈黙する。長いとも短いともとれないほどの時間が経過し、プロデューサーは果穂と目を合わせ、口を開く。


プロデューサー「事務所の責任で果穂の話を発表できるよう社長に相談してみる。果穂はくわしい内容を文章で書いてくれ」


 SNSに投稿された果穂の意見は驚くべき勢いで拡散される。はじめは困惑、戸惑い、反対意見も出てくる。だが、メロンパンの車に乗っていた刑事に助けられたという果穂と同様の内容の意見が投稿され出したのを機に、風向きは一変する。結局テロそのものがフェイクであったことも判明し、果穂の行動はきわめて高いリテラシーに則ったものとして称賛される。

 事務所の人間はみな安心し、ひと息ついた様子だ。

 しかし、果穂だけはあのメロンパンの車に乗っていた伊吹と志摩がいまどうしているのか気がかりな気持ちがどうしても拭えなかった。

 果穂は信じるしかない。

 最悪の事態と最後の手段、そのどちらからもあの二人なら大丈夫だろうと。


36 : ◆eodXldT6W6 2020/09/29(火) 00:14:00.53 ID:bZV+O8ybO
以上です。

1レス目にちゃんとタイトルとリンクが貼れてなかったので改めてこのSSは
小宮果穂「クズミさんがゴミを捨て」
のリメイクです。

 前作のラストにちょっと違和感があって、やっぱり子どもが傷ついたときは大人がちゃんとケアしないとダメだと思い、伊吹と志摩を登場させました。キャラに違和感がないといいのですが……

 あとキレイ好きハリーは『ダーティハリー』のオマージュで、最終回で伊吹が屋形船に飛び降りるショットがまんま『ダーティハリー』で出てくるんですよね。最終回の伊吹の言動な過去に犯人をタコ殴りにし、拳銃まで抜いたというエピソード、あるいは白い衣装が血で汚れる(ダーティ)になるのではないかという不安(第2話の犯人の白いセーターに染み込んだ血はどのタイミングで見せられたか)が、ダーティハリー的なフラグを積み重ねておきながら、『MIU404』はバディものなのだという返歌を見事に描いてみせる(「刑事辞めたりしないよな」という台詞がまさにそれ!)イーストウッドとドン・シーゲルのファンとしても最高でした。
 そして言うまでもなく、これはわたしの妄想です。

 以上長々と失礼しました。



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元スレ: 小宮果穂「ドーナツのクズ、メロンパンの車」
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