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【モバマス】昨日と明日をつなぐ旅【松尾千鶴/岡崎泰葉】

1 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:33:31 ID:UIc
○プロローグ・二月末日/松尾千鶴は夢を見る

『千鶴。おい、聞いているのか千鶴』

 忘れられない夢ってありますか。

 繰り返し見る夢ってありますか。

 将来の希望とか幼いころの目標とかじゃなくて、夜見る夢の話です。

 朝目覚めたら途端に不確かになって消えちゃう普通の夢じゃなく、見ればすぐにあの夢だと解るような。

 起きた後も印象深く覚えていて、ちくちくと古い思い出を刺激するような夢が、皆さんにもありますか?

 私には、そういう夢があるのです。

『千鶴、おい、聞いているのか千鶴』

 幕開けはいつも、私の背中に飛んでくるそんな言葉。

 そう、それはあのころの夢。

 まだ私が、松尾千鶴が福岡でアイドルをしていたころの夢。

 場面はいつも決まってライブバトルの前。

 これから福岡担当のエリアボスとして東京の事務所のアイドルたちと対戦する、その直前。

 あれは私にとって思い出深いライブバトルでしたから、繰り返しあの日を夢に見るのも、仕方がないことかも知れません。

 ――思い返すに、私はたぶん歴代で一番態度の悪いエリアボスだったでしょう。

『私と対決したいの? まあいいけど』

 態度からしてやる気なし。

『ふぅん。楽しかったの? それなら、良かったですね。さよなら』

『はい、おめでとうございます。それの何が不満なの?』

 なんて、冷たい態度で相手の勝利を茶化したりなんかして。

2 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:34:15 ID:UIc


 何故そんなふうだったかと言えば理由は簡単、相手が気に入らなかったから。

 ……あの人たちを見ていると、イライラする。

 それがあのころの私の正直な感想。

 だって彼女たちは、私たちに無いものをたくさん持っていましたから。

 アイドルを楽しむ心、将来への希望、仲間との絆、プロデューサーさんとの信頼関係。

 それは私たちが持ってないもの、失くしてしまったもの。

 彼女たちはそれを全部抱えたままでステージに上がってくる。

 それが癇に障って、妬ましくて、羨ましくて。

 私と彼女たちのどちらがステージでより輝いているかなんて、誰かに言われるまでもなく解っていて。

 だから私はあの日、自分がこれから負けるためにステージに上がるのだと理解していました。

 解っていても、ステージに上がらざるを得ない。

 私はお腹の底に重苦しいものを感じながら、それでも出番を待っているのです。

『千鶴、おい。聞いているのか千鶴』

 そしてそんな私の背後から、あの苛々としたプロデューサーさんの声が飛んできます。

 プロデューサーさんとは言っても、私が今お世話になってる事務所のプロデューサーさんではありません。

 苛々と私を呼ぶのは、昔福岡で活動していたころお世話になっていたプロデューサーさん。

 トゲのある声に負けないぐらい険しい表情。

 たぶんそれは、私が一番よく覚えている彼の顔でした。

3 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:35:44 ID:UIc

『聞いていますよ』

 私も、負けないぐらい棘のある声で応じます。

 重苦しい気持ちを、彼の声が逆撫でするからです。

『今度負けたら、終わりかもしれないんでしょう。そしたら私のお仕事もなくなるかもしれないって』

 ライブバトルはあからさまに勝敗が決まります。

 その上、結果については何千という観客によってあっという間に拡散されてしまいますから、いいところの無い負け方をするとあっという間に人気が離れてしまう。

 支持基盤が弱い私たちご当地アイドルにとって、それは死活問題。

 それで仕事を失って、潰れちゃった事務所もあるんだとか、ないんだとか。

 重圧、怖さ、むなしさ。

 そんな気持ちを感じないと言えば、それは嘘になるでしょう。

『解っていたらもっと本気を出せよ』

『解ってます』

『解ってるなら、その顔は何だよ』

4 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:36:52 ID:UIc
 衣食足りて礼節知る。

 事務所の経営も思わしくないのに連敗中、ひそひそ聞こえてくる声は酷評ばかり。

 自然、私とプロデューサーさんのやりとりも殺伐としています。

 互いの棘が互いを刺して、一言口を開くたび、言葉の険が強くなる。

 プロデューサーさんとこんな風にしか話せなくなったのは、いつからだったでしょう。

 原因は、なんだったでしょう。

 ある日突然不仲になったわけではありません。

 ここに至るまで、トラブルも行き違いも、たくさんありました。

 プロデューサーさんのせいもあったはず。

 私のせいも、あったはず。

 たくさんあった不和の種。

 そのどれが決定的な理由だったかなんて、解りません。

 ただはっきりしているのは、私がもう、プロデューサーさんの声を聞くだけで苛々してしまっていること。

 きっとプロデューサーさんもそうだってこと。

 私はもう、この人を信頼できなくなってしまっていること。

 それが悔しくて腹立たしくて、しかたないこと。

5 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:39:40 ID:UIc

『松尾千鶴さん、次です』

 そんな胸のうちを整理する暇も無く、スタッフさんが私の出番を告げました。

『行ってきます』

『待ってくれ、ちゃんと話を』

『もう出番ですから。帰って来てから聞きます』

 取り澄まして受け流したところで、私の悪い癖が出ました。

『……私の話は、ぜんぜん聞いてくれないくせに』

 隠しておくつもりだった本音が、ぼろっと口からこぼれたのです。

 しまったと思っても、もう遅い。

 プロデューサーさんの顔が、すうっと白くなったように見えました。

 昔から、この癖がどれだけ恨めしかったか。

 隠しておきたい本音をうっかり吐き出す癖のせいで、どれだけ人に棘を刺したか。

 だけど、口から出た言葉は、もうけっして消せないから。

『行ってきます』

『千鶴!』

 追いすがるような声に背を向けて、いつもの場所からマイクをつかみ取って……私は、敗北が待つステージに駆け上がりました。

 お腹の底にある油粘土みたいに重苦しい固まりは、ステージに上がっても消えてはくれませんでした。


 ◇

6 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:40:18 ID:UIc
 ◇

 ちゅんちゅん、ちゅんちゅん。

 窓から差し込む朝の光と小鳥の声。

 夢は、必ず覚めるもの。

 あのねばっこい夢はどこへやら、私はありがちな朝の報せにあっさりと目を覚ましていました。

 時計は……午前の、6時ぐらい。

 6時といってもまだ季節は早春。外もまだ白みきってない頃合いです。

 ……ああ、そうか、夢をみたんだ。

 もう何回も見た夢だから、ぼんやりした頭でもすぐそれが解りました。

 のそのそと半身を起こすけど、頭はまだ眠りと目覚めの中間ぐらい。

 夢の余韻がまだ強くて、まださっき掴んだマイクが手の中にあるような気がするほどで。

 ……これはあの夢を見たときの、いつもの目覚め。 

 何も収まってない掌をぼんやり眺めて見慣れた夢を思い返しているうちに、だんだん頭がすっきり目覚めてくるのです。

 だけど。

「……あれっ、そう、だっけ」

 空の手を見つめていると、その日に限ってぽかりと気づいたことがありました。

 ……マイク。

 そう、マイクです。

7 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:40:37 ID:UIc
 あの会場のいつもの楽屋。

 私はプロデューサーに背を向けて、いつもの場所からマイクをつかみ取って舞台に向かう。

 そう、マイクはいつも同じ場所に置いてありました。

 仲が良かったときも、喧嘩したときも、事務所が色々揉めていたときも。

 そう、マイクは変わらず、いつもあそこに置いてあったっけ。

「……戻らなきゃ、だめかな」

 考える前に、ぽろりと言葉がこぼれました。

 突然の思いつきでした。

 自分の口から出た言葉に、自分自身が驚きました。

 空っぽの手から目が離せません。

 そこに、あのマイクの重みが帰って来たかのようでした。

8 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:41:41 ID:UIc
○松尾千鶴、買うたやめた音頭を踊る
・三学期終業式当日・朝食時/女子寮食堂

 一月はいぬ、二月は逃げる、三月は去る……なんてことを言いますが、そんな言葉通り年度末の時間はあっという間に過ぎて、気付けば今日で三学期も終わる、そんな日の朝。

 私は寮で朝食を待ちながら、タブレットで旅行関係のサイトを漁っていました。

 たまたま今日だけ、という訳でもありません。

 旅行サイト漁りは、あの夢を見て以来私の日課。

 春夏冬の長期休みは、基本アイドルにとってかき入れ時。

 お仕事は次々ありますし、仕事以外でも学生の私たちにとっては纏まったレッスン時間をとれる貴重な時期でもありますから、春休みが慌ただしい日々になることはほぼ確定しています。

 ――とはいえ、私たちはまだ未成年。

 春休みには何日かまとめてオフがもらえる予定でしたから、そこでちょっと旅行に出られたら……なんて考えてるわけです。

 えっ? 

 忙しくなるのが解ってるのにネットを漁って旅行の計画とは余裕だな、ですって?

 もちろん、お仕事も勉学もおろそかにしているわけではありませんよ。

 自慢じゃないけどレッスンは毎日しっかりやってますし、アイドルとしてのお仕事もどんどん増えて絶好調。

 学生松尾千鶴としても先生がたの覚えもめでたく、成績優秀。

 期末試験の結果なんて、両親のアパートに速達で送りつけたくなるぐらいの出来。

 普段から努力して、アイドルとしても個人としてもきちんと結果を出した上での事ですから、旅行計画は余裕と言うより頑張った自分への当然のご褒美というものでしょう。

9 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:42:32 ID:UIc
 そうです、ええ、ご褒美。

 自分へのご褒美に、軽い気持ちでちょっと福岡への旅行計画を練ってみる……いいじゃないですか。

 ただ、実のところ、この日課はいまのところ全然成果が上がっていません。
 
 ……東京 福岡 ○月○日

 東京 福岡 鉄道

 福岡 往復 飛行機

 高速バス 往復券 九州……

 色々ワードを変えながら検索して、出てくる候補を見比べて、唸ってサイト閉じる。

 検索して、見つけて、にらんで、閉じる。

 何日も何日もそんなことの繰り返しで、私の『旅行計画』はぜんぜん前に進みません。

 学校のテストなら先生が、ダンスならトレーナーさんが出来を評価してくれますが、評価者が自分だけなら、自分が納得しない限り『成果』は出ない。

 そして自分で言うのもなんだけど、松尾千鶴はちょっとばかりめんどくさい審査員。

 オフがとれそうな期間が帰省ラッシュの最中だという事のもあるのですが、心の中の松尾審査員ときたらこれは値段が高いからだめ、はかた号はつらいからヤダ。

 これは申し分ないけどここまでデラックスだと予算がちょっと。

 あ、この日はレッスンをもうちょっとしておきたいし。

 すごく手頃だけどこのサイトが胡散臭いからやめとこう。

 飛行機は落ちるかも知れないし……と、いくつか見つかる候補にも次々難癖、ダメを出しているばかり。

 ……あの日、あの夢を見て。

 そしてマイクのことに気付いてから、私の心にひとつの思いが張り付きました。

 一度福岡に戻らなくちゃいけないんじゃないか。

 自分の口から不意に転がり落ちた、あの思いです。

10 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:43:04 ID:UIc
 マイクはずっと、あそこにあった。

 どんなときでも、あそこにあった。

 それに気づいたとき、私の心の中にさざ波が立ったのです。

 福岡に戻って、あの事務所の人たちに、もう一度会わなくちゃいけないんじゃないか。

 そんなことが突然頭に降って湧いて、消えなくなって……私に、旅行サイトや時刻表を漁らせているのです。

 だけど、それはまだ『思い始めた』ってだけのこと。

 福岡に戻ってあの人たちに会ってどうするの? どうしたらいいの? そもそもそんなことしていいの? ってことに関しては、今のところ私は全くのノープラン。

 ありがとうって言うの?

 ごめんなさいって言うの?

 誤解を解いて、仲良くしましょうって?

 そんなわかりやすい和解がしたいなんて、私自身が思えていません。

 マイクのことも事実なら、あの事務所で体験した不和も本当、苦しんだのも本当。

 ……あの人たちを信じられないと思ったのも本当。

 初めは楽しかったはずのアイドル活動。

 そのアイドル活動を続けることに微塵の喜びも感じなくなるに至った経験は、苦しみは、マイク1本で帳消しになるほど軽い物では無いはずなのです。

11 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:43:45 ID:UIc


 それに……そう、だいたい、今更私が顔を出したからってどうだっていうのでしょう。

 ライブバトルに負けて今の事務所に引き抜かれて、あっというまに東京にやって来てもう1年。

 その間一度も帰省はせず。

 両親が先日東京に越してきたことで、私にとって福岡は事実としても心理的にも遠い土地になりかけていました。

 それは向こうだってきっと同じ。

 すっかり縁が切れた私にひょっこり顔を出されたって、あの人たちも困るんじゃないでしょうか。

 終わったことは終わったこと。

 書き損じた書を修正しようとしても半紙を汚すだけ。

 過ぎたことを手直ししようとしても、よけい悪くなるだけなのです。

 ……それを今更、突然会いに行こうだなんて。

 せっかく忘れかけた、塞がりかかった傷をほじくり返そうだなんて。

 それは私の、ひとりよがりな思いつきに過ぎないんじゃないでしょうか。

 そもそも行ってどうすればいいかも定まっていなければ、行かないほうがいいんじゃないでしょうか。

 そんな具合に諸々もろもろ渦巻いて、私の内心はぐっちゃぐちゃ。

 こんな調子で旅行サイトをいくら眺めても、決断するどころか見つけた候補の中に疵を探してボツにする理由を作りにかかってしまうのがせいぜいなのでした。

 ……まったく我ながら、何をしているんでしょうね。

 夢の中でマイクを握ってた右手をちらりとみて、情けない自分にため息一つ。

12 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:46:28 ID:UIc
 とはいえ、とは言え。

 この何もかも固まらない気持ちのままで福岡に戻っても、きっと何も出来ないだろう、というのも確かです。

 無理して突撃して、何もできずに福岡を後にする。

 もしそうなったら、私は無駄に誰かを傷つけて、いたずらに福岡に戻ったことを長く後悔するにちがいないのです。

 だから私は毎日こんなふうにサイトを眺めて、春休みが近づいてだんだん減っていく候補を毎日数えて。

 検索してボツにして、検索してボツにして。

 そしてそのうち『まあ、まだオフまでは時間があるし、今日は考えるのよそう』なんて、解りやすく自分を誤魔化して、サイトを閉じて。

 そのくせまた次の朝になるとそわそわと検索して、検索して……。

 毎日、そんな無駄なことを繰り返していたのです。

 それはたぶん、今日も同じこと。

 何度眺めたって、どんな良い旅券を見つけたって、気持ちが決まらなければ選べるはずがありません。

 だから。

「おはよう、千鶴ちゃん」

 ぽん。

 この日突然背後から聞き慣れた声と共に肩を叩かれなかったら、私は棚上げ先送りを決め込んで、結局福岡には向かわずじまいだったかも知れないのです。

13 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:47:00 ID:UIc
「……おはようございます」

「はい、おはよう」

 驚きを顔に出さないように振り向いた先でにっこり笑っているのは、同じユニットの友達で大先輩の岡崎泰葉ちゃん。

「あっ」

 泰葉ちゃんの整えられた前髪の下で、何かに興味を引かれるように眉が上がりました。

 視線の先には、当然私のタブレット。

「ああ、なるほど。旅行?」

「ああ、いえ、その」

 しまった。

 あわてて振り返ったからサイトを閉じるの忘れていました。

 今からサイトを閉じてしまうのは……うん。さすがに強引すぎるよね。

「ふーん、福岡かあ」

 ほら、もうばっちり検索内容まで見られちゃってるし!!

「か、勝手にのぞき込むの、良くないですよ」

 だから、かろうじて私に出来たのはそんな当たり障りのない注意ばかり。

「ごめんごめん」

 泰葉ちゃんも口では謝りますが、顔は悪びれずに笑ってます。

「ここしばらく、毎朝タブレットのぞき込んでどうしようどうしよう行こうかなやめようかなってソワソワしてたから、気になっちゃって」

 しかもそんな情報まで披露してくれる余裕ぶりなのです!

「き、気付かれてたんですか!?」

 顔がかあっと赤くなりました。

「うん、ばっちり」

 頷く泰葉ちゃんは余裕しゃくしゃくのドヤ顔です。

「というか、ほたるちゃんも裕美ちゃんも気にしてたんだよね。明らかに様子がおかしいからって。多分朝食堂を利用する子はみんな気付いてたんじゃないかな」

「いっそ殺して……」

 それで代表して今日私が声をかけたってわけ、とドヤ顔する泰葉ちゃんを見る余裕は無く、両手で赤くなった顔を隠して俯く事しかできません。

 そうですか周りに漏れまくってましたかうわあ恥ずかしい。

 ああもう本音がダダ漏れるこの口と解りやすい顔が憎い。

14 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:50:52 ID:UIc
「それで、福岡に行くの?」

 この癖とも長いつきあいなんだから、せめて人が居ないところでやるべきだった……なんて、後悔先に立たず。

「ええまあ、行けたら行こうかな、と」

 私は半分観念して、隣に座る泰葉ちゃんに見えやすいようにサイトの画面を拡大して見せました。

「福岡出身だっけ。里帰り?」

「まあ……そんなところ。春休みのオフに、行けたら行きたいと思ってるんだけど」

「へえ」

「だけど私たちのオフのあたりって、もう新幹線パンパンみたいで……調べてたけど、ちょっと無理そうかな」

 私たちは同じユニットで活動してますから、受けるお仕事もだいたい同じ。

 となれば当然オフのタイミングも揃えたほうが都合が良いのが道理ということなのでしょう、私たちGBNSの4人は、3月の末あたりにまとめて連休を戴ける手はずになっていました。

 そしてオフの日が同じなら、交通機関が込み合っているという事情も同じことですから、この説明は、この話をここで切るのに十分な説得力があるはずです。

 芸歴、経験という奴でしょうか。泰葉ちゃんは勘が鋭くて、人の気持ちを読みとる力がとても強い子で。

 一方私は自他共に認める本音が隠せない性格ですから、このまま話を続けていたら私の内心まで読みとられてしまいそうな、そんな怖さがありました。

 言い訳の説明でも『行けそうにない』と言ってしまう意気地のなさは我ながらちょっと情けなくもありましたが、とにかく話はこれで終わり。

 もっと早くに切符を押さえておけばよかったなあ、なんてわざとらしく嘆きながらサイトを閉じる私……だったのですが。

「じゃあさ千鶴ちゃん、いっしょに帰らない?」

 にこにこ笑顔と共に続けて泰葉ちゃんの口から飛び出した言葉は、私の予想を越えていました。

「い、いっしょに?」

 一緒にって、いっしょに?

15 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:52:51 ID:UIc
「そう。実は私も、久々に里帰りしようかなって思ってて。切符が取れたらいっしょに帰るってのはどう?」

 泰葉ちゃんは長崎出身ですから、途中まで一緒というのは出来ない話でもないような気がします。

 いや、でも、しかしですね。

「そ、その切符が取れそうにないって話を今したばっかりでしょ?」

「ふふーん。そこで芸歴の出番です」

 得意げにスマホを取り出してどや顔する泰葉ちゃん。

 泰葉ちゃんて、普段はまじめっ子なのにどうしてこうドヤ顔が似合うんでしょう。

 いや、そんな話はどうでもよくて、ええと。

「旅券って芸歴でどうにかなるものなんですか」

「なる」

 胸張ってきっぱり。

 すでにスマホを操作しながら、泰葉ちゃん自信満々の断言です。

 えっ、えっ。

 芸歴ってそんなすごいものでしたっけ。

 実は鉄道会社や航空会社には、有名子役泰葉ちゃんのために優先的に切符を回す決まりとかがあるんでしょうか。いやいやさすがにそんなバカな。

「実は以前、旅番組のシリーズに出てたことがあってね。番組のプロデューサーさんには今でも可愛がってもらってるの」

 混乱する私をよそに、泰葉ちゃんの説明は明快です。

16 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)17:57:48 ID:UIc

「旅番組には大抵、大きな旅行会社がスポンサーについてるでしょ。ああいう番組はいい宣伝になるから、番組用に旅券を融通してくれたり、なんだかんだと番組を作る上で協力も提案もしてくれてるわけ」

「な、なるほど」

「で、旅行会社は自分のルートで商品に出来そうな旅券をたくさん押さえてるし、そのプロデューサーさんは旅行会社と懇意にしてるから……」 

 なるほど、つまりその人経由なら旅行会社は多少の無理を聞いてくれる、というわげです。

 すごい。コネの力って凄い。

「もちろん絶対じゃないけどね。好意に頼って無理を言うんだし……で、どうかな」

 ずいと泰葉ちゃんの顔が寄りました。どうしましょう、なんかいい匂いがします。

「ど、どうって」

「無事旅券が確保できたらだけど、一緒に行こうよ」

 すごい笑顔です。押し切られそうです。

 あ、でも。

「すごくうれしいけど、それ泰葉ちゃんにメリットなくない?」

 そうです。

 そもそも旅券を手に入れるのだって、2人より1人のが簡単で。

 泰葉ちゃんはそのために、下げなくていい頭をそのPさんに下げるわけです。

「あるよ……実は私、1人旅ってしたことないんだよね」

 まるで子供っぽい癖を恥ずかしがるみたいな顔で、泰葉ちゃんが頬を染めました。かわいい。

「東京に出てくるときは両親が一緒だったし、子役時代は個人的にどこか行く余裕もなくて。番組の移動はいつも誰かしら大人の人と一緒だったしね」

 ……その顔は、なんだかすごく遠くを見ている、そんな風にも思えます。

17 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:00:19 ID:UIc
「それに、1人だと全然知らない人が隣に座るかもしれないでしょ。それってちょっと不安じゃない?」

「ああ、それは確かに」

 同意して、頷きます。

 福岡で活動してた頃に1人での移動はそこそこやりましたが、1人旅はやっぱりどこか不安。

 隣の席に座る人の体格が大きくてずっと狭苦しい思いをしたり。

 移動中ずっといびきを聞く羽目になったり。

 勘違いで荷物を持って行かれたり、なんだかじっとりあちこち見られたり……。

 お隣さんに関するトラブルは私もそこそこ経験していますから、泰葉ちゃんの不安は十分理解できるというものです。

 というか、泰葉ちゃんは長年の子役経験のおかげで私よりずっと世間に顔が知れていますから、よけいなトラブルに遭う可能性は少なくないかもしれませんね。

「ね、助けると思って、一緒に行って!」

 となれば『お願い!』って手を合わせての言葉を無碍にすることは、とてもできません。

「じゃあ、えーと、旅券が取れたらってことで」

 泰葉ちゃんの勢いからわずかに目を逸らしつつ曖昧に了承します。

 まあ、旅券が取れなければそれまでの話。

 里帰りシーズンで旅券の確保は難しいはずですし、コネを使ったからって状況がそんなに簡単にひっくり返るとは思えません。

 泰葉ちゃんには悪いけど、これは結局空手形に近い約束で――

「確保できそうだって!!」

 うわあ、コネってすごい。

 どうやら2人で話してる間にもそのPさんと連絡を取っていたのでしょう。

 ラインの通話画面を印籠の如くかざしてドヤ顔する泰葉ちゃんの姿に、私はもう目を丸くするしかありません。

 そして友達との約束を今更破れるはずなんてないわけで。

 こうして、松尾千鶴と岡崎泰葉ちゃん。

 私たち2人は、三月の末に、一緒の旅に出ることになったのです。

18 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:03:12 ID:UIc

○松尾千鶴、白状する
・春休み初日、午前中/レッスンルーム

『松尾君は顔や声だけでなく書に本音が表れるんですよ』

 書道教室の先生にそんな指摘を受けたことがありました。

 だけどそれは当たり前のことじゃないでしょうか。

 白い紙に向かって、心身を整えて、まっすぐに筆をおろす。

 単純なことだからこそ、そこには心の動きが表れます。

 毎日練習してるからこそ、打ち込んで研ぎ澄ませてきたことだからこそ、そこには心が表れてしまうものなのではないでしょうか。

 と、というわけなので。

「松尾。位置がズレてるぞ。集中!」

「はい!」

「指先! ちゃんと気持ち入れる!」

「はい!」

 泰葉ちゃんとの里帰りを一週間ほど後に控えた春休み初日。

 午前のレッスンで、私はベテラントレーナーさんからびしばし注意を飛ばされているのでした。

19 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:04:16 ID:UIc

「なんだその有様は。ぜんぜん集中できてないじゃないか」

 そんな風に呆れられても、全く反論できません。

 一緒にレッスンしてる裕美ちゃんとほたるちゃんも調子外れな私が心配そう。

 普段の私は練習を堅実にこなすほうですから、何か不調でも抱えているのではないかと思っているのかもしれません。

 友達2人に心配かけたくない。集中集中……と自分を戒めるですが、思えば思うほど空回り、気が焦るばかり。

「よし、では午前のレッスンはこれまで。再開は13時30分からとするので、遅れないように」

 情けないことにトレーナーさんがそうレッスンの終わりを宣言するまでの間、私の調子は狂ったままだったのです。

 集中できてないとよけいに疲れる気がします。

 私はトレーナーさんがレッスンルームから去った途端、へたりとその場に座り込んでしまいました。

 ああ情けない。

 ほんとに情けない。

「千鶴ちゃん、大丈夫?」

「なんだか調子、悪そうでした」

 裕美ちゃんとほたるちゃんが心配そうに寄ってきます。

 へたりこんだ私のそばに座り込んで、ぐいぐい寄ってくるかわいい2人。

 うう、2人の優しさがうれしいやら、みっともないとこ見せちゃったのが恥ずかしいやら。

「何かあったの?」

「わ、私たちでよければ相談に乗ります」

 じっと見通すような裕美ちゃんの赤い瞳。

 私の痛みを見つめるような、ほたるちゃんの紫の瞳。

 2対の瞳が、息づくようにこっちを見ています。

20 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:04:36 ID:UIc
「た、たいしたことじゃないの」

 私は笑ってはぐらかそうと試みました。

 だってだって、レッスンに集中できない理由は結局自分の心の中の事で、人に話すようなことでは無い気がして……。

「本当に?」

「だけど千鶴ちゃん、なんだかつらそうで」

 だがしかし、私への気遣いを満載した2人の大きな瞳はぐいぐい私に迫るのです。

 GBNSの年下2人は、人の痛みや動揺にとても敏感な優しい子。

 私を心配してくれてるのがストレートに伝わる瞳を前にすると思わず正直に何もかも白状してしまいそうで――

「本当に大したことじゃないの。ただ、月末の旅行の事が気になってて」

 はい、耐えられませんでした。

 だって仕方ないじゃないですか、大事な友達が心配してくれてるのにごまかすなんて、気が引けるんですもの。

「旅行?」

「そう、旅行」

 確認するように繰り返すほたるちゃんに頷き返して、ため息ひとつ。

 白状してしまったからにはしょうがありません。

 そう、集中できない理由はただひとつ、月末に予定している泰葉ちゃんとの旅行のことが気になって仕方が無いからです。

 ……とはいうものの、どうしましょう。

 まだ自分でも飲み込めていないことですから、皆に話すつもりなんてありませんでした。

 当然、旅行の説明なんか考えてもいなくって。

「ああ、里帰り。泰葉ちゃんと一緒に帰るんだよね」

 ところがケロッと裕美ちゃんが頷くではないですか!

21 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:07:41 ID:UIc
「知ってたの!?」

「うん、泰葉ちゃんがすごく楽しそうに教えてくれた」

 いいなあって屈託無く笑う裕美ちゃん。

「たしか仁奈ちゃんや工藤さんともそのお話してたよね」

 寮のロビーで見ましたと補足してくれるほたるちゃん。

 えっ、泰葉ちゃんてそんな予定を触れ回るようなタイプでしたっけ。

 うわあ、うわあ、昨日の今日でなにを言いふらしてるんですか!!

 私はまだ秘密にしておきたかったのに……って、ああ、いえ。

 泰葉ちゃんは私が里帰りを思い立った理由なんて知らないはずですし、よく考えたら秘密にしてほしいなんて一言もお願いしてません。

 流石にそこに憤慨するのは、いくらなんでも筋違いというものでしょう。

 私は今日は別のお仕事でここにはいない泰葉ちゃんに向けてそっとため息をついて、逆恨みを心のゴミ箱に投げ入れるのでした。

「それで、旅行のことが気になっているの? 楽しそうなのに、どうして」

 裕美ちゃんがきょとんと首を傾げます。

「たしか、どこかのテレビ局のプロデューサーさんに旅券をお願いしてるって聞きましたよね」

 ちょっと考え込む様子を見せたあと、ほたるちゃんの顔がすっと青くなります。

「まさか、そのプロデューサーさんに何か無理難題を」

「違うから。違うからね?」

 想像力が悪いほうに突き進みやすいのはほたるちゃんの悪い癖。私はあわてて否定して、ほたるちゃんの手を握ります。

「別に変なことがあるわけじゃないの。むしろすごくいい旅行プランをお世話してもらったんだよ」

「本当ですか?」

「本当本当!」

22 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:08:04 ID:UIc
 いやもう悩みは私の内心の問題でしかなくて。

 旅行プランはほんといいもの出してもらったんです。ほんとですよ。

 だからそう心配そうな顔しないでほたるちゃん。

「そういえば、どんな旅行になる予定なの?」

「ああ、うん、ええとね?」

 水を向けてくれた裕美ちゃんに内心感謝しつつタブレットを取り出して、泰葉ちゃんが昨日の晩送ってくれたテキストを開きます。

「ええと、まずは3月2×日の夜22時過ぎ、寝台特急サンライズ出雲というのに乗って岡山まで」

「飛行機とかじゃないんだね」

「私と泰葉ちゃん、その日は遅くまで別々の現場でお仕事だからね」

 寝台特急なんて乗ったことない、と目をぱちくりする裕美ちゃんに頷きました。

 仕事を終えたあと羽田まで移動して搭乗手続きを終わらせるのは時間的に無理でしたし、高速バスはちょっと疲れるし……それで列車。

 駅で合流すれば世話がありませんし、夜間を移動時間に使えれば貴重な休みを長く使えて、しかもちゃんとベッドで寝られるのだから言うことなし、というわけです。

「で、岡山でそのプロデューサーさんおすすめのクロックムッシュで朝食を食べてから倉敷でのんびり観光」

「くろっくむっしゅ」

「チーズとハムの入ったトーストみたいなのだよ」

 知らない、って顔のほたるちゃんに、お姉さん顔で補足する裕美ちゃん。

 GBNSの4人は幸いほんとに仲良しですが、裕美ちゃんとほたるちゃんはまたその中でも一段親密な感じがして、見ていると微笑ましくなってきます。

 だけど2人は、ただ気が合うから、一緒にいて楽しいから親密なのではありません。

23 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:13:19 ID:UIc
 ほたるちゃんが初めてソロ曲をもらった日、過去の事務所の人に出会って、責められてしまったこと。

 そして、雨の日に行方が知れなくなってしまったこと。

 ロケで東京を離れていた私と泰葉ちゃんは、その事件の顛末を翌日になって知りました。

 雨の中、裕美ちゃんがほたるちゃんを見つけたことを知りました。

 私はときどき、考えます。

 ……もしかして、あの日、三船さんや裕美ちゃんがお仕事で東京にいなかったら。

 裕美ちゃんが、智絵里ちゃんが、愛海ちゃんが雨の中に駆け出さなかったら。

 3人が痛みを恐れてほたるちゃんに踏み込んでいかなかったら、ほたるちゃんは今、ここに居なかったかもしれないのです。

 そして踏み込んだからこそ、ほたるちゃんと裕美ちゃんは一段と親密になれました。

 私はそれがうれしくて、そして……。

「……あれっ?」

 なんだか胸が、ちくっとして。

「どうしたの?」

「ううん、なんでもない……ええと、それでね?」

 胸の痛みは、きょとんと私を見つめる裕美ちゃんの顔を見ただけで、すっと溶けてしまいました。

 なんだったんだろう、という疑問を黙殺して、私はテキストを手繰ります。

「それで岡山倉敷尾道をつまみ食いで観光したら、午後には山口に移動。錦帯橋や下関を観光してから船で門司港に渡ってそこで一泊して、次の日中は門司港と太宰府を観光して……私は博多駅で泰葉ちゃんとお別れ、と」

 そして泰葉ちゃんはそのまま列車で里帰りというわけです。

「いいなあ、楽しそうです」

 宿泊する旅館や列車の写真まで添えられた説明文に、ほたるちゃんが目をきらきらさせました。

「こんなに楽しそうなら、途中まで私も一緒に行きたかった」

「岡山ぐらいまでしか一緒にいけないじゃない」

24 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:14:01 ID:UIc
 実は、私自身にはこの旅程にすこし思う所があるのですが……それはさておき。

 いいなあと頬を膨らませるほたるちゃんを、私は笑って諫めます。

「ほたるちゃんと裕美ちゃんは、まだ中学生だもん。私たちと観光より早く帰ってご両親と一緒にいなくっちゃ……待ってるんでしょ?」

「えへへ、はい」

 ちょっぴり照れくさそうに、でもうれしそうに、ほたるちゃんは頷きます。

 大人びた表情を見せることも多いほたるちゃんですが、そうして見せた顔は年相応の幼い笑顔。

 そもそもご両親のことやふるさとのことを話もしなかった以前は、見ることもできなかった表情です。

 私たちと距離が縮まったからそういう顔を見せてくれる……ということもあるでしょうが、やはりそこは本人の気持ちの変化、ご両親との関係の変化が大きいのではないかという気がします。

 そういえばほたるちゃんのご両親は、去年の8thアニバーサリーでも……。

「あれ、でも、そういえば」

 回想に入りそうになる私の意識を、裕美ちゃんの声が現実に引き戻します。

「千鶴ちゃんのご両親てもう東京に越して来てるよね?」

「うん、そうだよ」

 松尾家はもともと福岡の住まいですが、私の活動がこっちで安定してきたこと、父に東京転勤の打診があったことを期に、父母は揃ってこちらに出てくることを決めていました。

 今はまだ家族3人で暮らせる条件のいい物件が見つからないので、両親は現在アパート暮らし。

 私は寮暮らしで、両親と会うのは週末に食事をするときぐらい。

 やがて皆で暮らせる戸建てが見つかれば、私も寮を引き払って両親と暮らせるようになるのでしょうか。

 それは正直うれしくて……でもやっぱり、ちょっと寂しい気もします。

 まあ、それはそれとして、です。

「福岡の家には祖父母も親戚も居るし、向こうには友達だっているもの。両親がいなくたって、里帰りに不思議はないでしょう?」

 おお、我ながら理路整然とした説明です。

25 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:14:33 ID:UIc
「親戚の人もいるの?」

「古いけど、大きな家だから」

 裕美ちゃんの問いかけに、私の脳裏に古いばかりで不便の多い我が家が浮かびました。

 古くて不便で、でも歴史的に大事な建物だとかで改築もなかなかできない、そんな家。

 福岡でアイドルしていたころには鬱陶しくも思えたあの家も、今目の当たりにすれば違ったふうに見えるのでしょうか。

「はい、帰りは、どうするんですか?」

 タブレットをのぞき込み、行儀良く挙手して質問するほたるちゃん。

 仕草がいちいち愛らしくて、思わず笑みがこぼれます。

「それぞれ向こうで1泊して、次の最終の飛行機で戻ってくる予定なの」

 一緒なのは行きだけ帰りは別々、再会は東京で……となるわけです。

 福岡での顛末次第で私はきっとこの世の終わりみたいな顔をしているでしょうから、そこを泰葉ちゃんに見られる心配がないのは有り難いところです。

「……楽しそうだね」

 裕美ちゃんがなんだか不思議そうに眉を寄せます。

「すごく楽しそうで、おかしなところもなさそうなのに。どうして千鶴ちゃんはあんな調子だったの? 楽しみで気にしてる、って感じじゃなかったし」

「聞かないで」

「どうして?」

「思わずぼろっと本音を白状してしまいそうだから」

「言ったら、ダメなことなの?」

「それは……どうなんだろう」

 ぽんぽんと続いた裕美ちゃんとのやりとりの最後で、私は返答に詰まりました。

 なんだかひょいと虚を突かれた気がします。

 言いたくない、のは。

 それが私の個人的なことで、まだ気持ちも固まっていないから。

 つまり、ただ言いにくいからです。

 だけどそれは、心配してくれる2人に聞かせてはいけないことでしょうか。

 聞かれて、恥ずかしいことでしょうか。

 たぶんそれは、違うはずでした。

 聞かれたくないところまで、無理にほじくろうとするような2人でしょうか。

 それは絶対、違います。

26 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:16:08 ID:UIc
「……かいつまんだ話でいい?」

「うん」

「はなせるところ、だけで」

 さすがに、福岡のどろどろした不和の話なんかまで聞かせるのに気が引けての問いに2人が頷いてくれたので、私はゆっくり深呼吸して心のうちをまとめました。

「……夢を見るの」

 言葉を選びながら、ぽつぽつと。

「何度も見ている夢。福岡にいたころの、苦しかった時の事を、同じ場面を、何度も……でも、この間ね、その日に限って、気がついたことがあって」

 2人は、口を挟まずにじっと耳を傾けてくれています。

 年下の2人にこんなことを話すのはなんだか気が引けますけど……黙って聞いてくれるのがうれしくて、頼もしくて。

 私の口は少しずつ、滑らかに動き出すのです。

「そしたらね。福岡にいたころ、私が見落としてたことがあったんじゃないかって気がして。帰った方がいいのかなって気持ちが、頭から離れなくなっちゃって」

 勿論、こんなことを2人に……ううん、誰かに話すなんて、初めてのこと。

 私は自分の中の飲み込めないものを言葉に変えながら、気恥ずかしさで頬が赤くなるのを感じています。

 だってそれは、自分が拗ねて、ひねくれてしまっていた頃の記憶とつながっているのですから。

「福岡の事務所の人たちと私って、最後のほうかなり険悪で。私もすっかりやさぐれてて……だから今まで、戻ろうかな、会おうかななんて思いもしなかったのに。突然そんな気持ちが沸いて、戸惑っちゃって。でも、気持ちはなくなってくれなくて」

 そう、ずっと避けてたこと。

 行きたいと思いもしなかったこと。

 忘れようとしてたこと。

 それがあの日から突然、頭の中から出て行ってくれなくなって。

「行かなくちゃ、行こうかなって気持ちと、行ってどうするんだ、やめとけばいいのにって気持ちが両方あって、まだ整理がついてなかったんだけど……」

「あのどうしようどうしようには、そんな理由があったんだね……」

「うう、言わないでぇ」

 そういえば裕美ちゃんやほたるちゃんにも、毎朝の食堂での顛末は見られているのです。

 なるほど納得と頷く裕美ちゃんに、私の頬がまた熱くなりました。

「と、とにかく。気持ちに整理がつかないうちに、泰葉ちゃんと旅行に行くことは決まっちゃったもんだから……すこし、まだ、整理がつかなくて」

27 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:16:25 ID:UIc
「行くの、いやなの?」

 心配そうなほたるちゃん。

「そんなことないよ」

 違う違う、と手をふる私。

「あのまま1人で考えてたら、私、きっと絶対行けなかったから。泰葉ちゃんにはいい切っ掛けを作ってもらったと思う……問題は、私のほうなんだよね」

 立て膝に顔を埋めて、ふかくふかく息をつきます。

 そう、問題は私のほう。

「行くことになったからにはちゃんとしたいけど、当日までに気持ちをまとめられる気がしなくて。考えるほどこんがらかってくる気がして」

 それは私の悪い癖。

 考えて、考えすぎて、ぐるぐる回る。

 考えすぎで、動けなくなる。

 決まった期日に向けて気持ちを整理しようと躍起になるとよけいにこんがらかって、自分が本当に福岡に行きたいと思っているのかどうかすら、解らなくなって来てしまうのです。

「もう、なんだか解らなくなって来ちゃって……だいたい、あの夢だっていままで何度もみた夢なのに。なんで今度に限ってこんな気持ちになっちゃったのか」

 そうです。

 解らないといえば、まずそこが解らないんです。

 あれはこれまでなんどもみた夢で。

 ああなんだ、またあの夢かってほど、みた夢で。

 捨て台詞を残してマイクを掴んだのだって、もう何十回とみたことで。

 なぜ今回に限って、マイクの事に気がついたのか。

 なぜ今回に限って、忘れられなくなってしまったのか。

 たぶん、それは自分ではいくら考えても解らないことでした。

 だけど。

「……なんだか、解ります」

「えっ」

 思わず大きな声を出しちゃいました。

 だって、私が考えて解らないことを、隣で聞いてるほたるちゃんが解りますなんて言うんですから!!

28 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:17:00 ID:UIc
「解るの!?」

「う、うん。なんとなく」

 私の勢いに押されて後退しつつ、ほたるちゃんはくこくこ頷きました。

「なんていうか、後で見たらちがうってことがあるんです」

 13歳の口から出てくる『理解』はふわふわとしていました。

「ほたるちゃん、ほたるちゃん。それだけじゃ解んないよ」

「あ、そうだね。ええと、ちょっと待って。かんがえるから」

 もうちょっと補足してあげなくちゃとダメを出す裕美ちゃんの言葉にあわてて考え込むほたるちゃん。

 よく大人びたことも口にするほたるちゃんですが、実の所彼女は13歳。何度も自分の中で考えたことについては理路整然と喋れても、用意の無い話題についてはそうはいかない事がよくあります。

「ええとつまり、千鶴ちゃんは、気付ける用意が整ったから、気づいたんだと思うんです」

 気付ける、用意。

 ひょっこり出てきた言葉が、痛みもなく胸に刺さった気がしました。

「夢は同じ。過去も変わりません。それでも新しいことに気づいたなら、変わったのは千鶴ちゃんなんです」

 ほたるちゃんの言葉は、確信ありげに聞こえます。

「私が、変わった?」

「子供の頃聞いたことの意味が、ずっと後になって解ったりしたことって、ありませんか?」

「……ああ、ある」

 すぽんと、思考に風穴が開きました。

 それは、書道でも経験のあることでした。

 先生から受けた指導の意味が、そのときは掴めなくて。

 どれほど考えても、理解できなくて。

 だけどいろいろ練習を重ねていくうちに、知識を深めていくうちに、突然『ああ、あれはこういう意味だったんだ』って理解できる。

「あれと、似たものだってこと?」

「はい」

 自分の言ったことを確かめるみたいに、ほたるちゃんはゆっくり頷きました。

29 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:17:37 ID:UIc
「自分の中に準備が整わないと解らない事。その夢も、そういうものだったんじゃないかなって」

「それ、私も覚えがある」

 ふわふわの髪を揺らして、裕美ちゃんが頷きます。

「アイドルになったらね、世界がきらきらして見えたんだ。凄い、アイドル凄いって思ったけど、すぐ違うって解ったの」

 裕美ちゃんの目は目の前の輝きを見つめるみたいに、きらきらとしていました。

 それは彼女がアイドルとして一歩踏み出した日の思い出の話。

「世界はずっときらきらしてたんだ。私が今までそれに気付いていなかったんだって。気付かせてもらったんだ、って」

「私も、気付かせてもらったの」

 ほたるちゃんが、頷きます。

「愛海ちゃん、智絵里ちゃん、裕美ちゃん。みんなが取りなしてくれたから、先輩ともう一度お話できて。先輩がすてきな人だって気付けたの」

「先輩って、あのカフェのひと?」

「はい」

 私の疑問に、ほたるちゃんは嬉しそうに応じます。

 カフェで働いてる、ほたるちゃんの元先輩。

 今ではほたるちゃんを応援してくれているそうですが、再会はかなり険悪なムードだったと聞いています。

 だけどほたるちゃんは、先輩と再会して、話し合って……

「ずっと怖かったけど、考えてみれば先輩はあの頃だって、真剣に辛抱強く私を指導してくれてたんです……不幸に押しつぶされてた私が、それに気付けなかっただけで」

 少し寂しそうに、うつむくほたるちゃん。

「話してみたら、先輩はとっても優しい、すてきな人でした。皆が取りなしてくれなかったら、私はきっとずっと、それを知らないままだった……だから、思ったんです」

「……なんて?」

「あのころ自分は、ずっと不幸なだけだと思っていたけれど。怖い人ばかりだと思っていたけど。でも……今見れば違って見えることも、きっと沢山あるんだうな、って」

 不幸につぶされて見えなかっただけで、自分の周りには優しさも、小さな幸せもあったのかもしれない。

 自分が見ようとしなかっただけで、花は咲いていたのかもしれない……ほたるちゃんのそんな気付きは、きっと彼女1人では得られないものだったのでしょう。

 裕美ちゃんも、そう。

 誰かに押されて、何かに押されて、自分の中に何かが整って……目が開く。

 開眼。

 それはもしかしたら、誰にでも訪れる瞬間なのかもしれません。

 それまでの経験や出会いがひとつになって、ぱっと目の前が開ける驚きの経験。

 だけどそれは、偶然に訪れてはくれません。

 いろんなことを積み重ねて、向き合って。

 出会いを経験して、大切にして。

 自分の中に用意が整ったからこそ、誰かが押してくれたからこそ、訪れる瞬間なのです。

30 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:17:54 ID:UIc

「裕美ちゃんも、私も、千鶴ちゃんも、ここでいろんなことを経験して、いろんなことに出会いましたよね」

 そう言うほたるちゃんは、なんだかとっても嬉しそう。

「だから、千鶴ちゃんは気付けたんじゃないかな、って思うんです」

 ……私があのころから何か変わったか、と言われれば、私は首を傾げます。

 私は変わらず、私のまま。

 思いこみが強くて後ろ向きで、すぐに本音が出ちゃう松尾千鶴、そのままです。

 だけど、ちっとも変わらない私のままかと問われたら、私はきっぱり違うと答えたでしょう。

 私自身はほんの一歩……ほんの半歩しか進めていないかもしれません。

 でも、私をとりまく人は、大きく変わりました。

 心さん、きらりちゃん、GBNSのみんな、プロデューサーさん。

 すてきな人たちが、私の感じていることに別の角度から光を当ててくれました。

 そしたら……きっと私も、裕美ちゃんと同じ。

 景色が、変わって、見えたんです。

 私1人ならこれまでと同じにしか見えなかったはずの景色。

 ひねくれて、後ろ向きに見ていたはずの物。

 皆が当ててくれた光は、私1人では気付けなかったはずの大事なことを照らし出してくれました。

 だから、私はいろんなことを知ることが出来ました。

 自分を改めていくことができました。

 それは私1人だったら、きっとずっと長い間、出来ずにいたはずのこと。

 みんなの後押しがあって初めて、出来たこと。

 私は、それがなんだか嬉しくて――。

31 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:18:27 ID:UIc
「同じ、なのかな」

 じっと、考え込みます。

「みんなのおかげで成長できたから。私の用意が整ったから。気付かなかったことに気付けた。帰ってみようと思うことが出来た。そういうことなのかな」

「きっとそうです」

 ほたるちゃんが、まっすぐに私を見ました。

「だから、大事にしてほしいなって、思います」

「大事に?」

「帰ったほうがいいのかも、って思えた気持ちをです」

 用意が出来たから、気付くことができた。

 帰ったほうがいいのかも。

 そう思えたことも、同じ。

 自分の中に、あの場所に帰ってみる用意が整ったから、浮かんできた思いなのでしょうか。

 まだ自分の中で言葉になってはくれなくとも、理由はちゃんと自分の中にあるのでしょうか。

 そう考えると、自分の焦りがすうっと楽になるのを感じました。

32 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:18:41 ID:UIc


 自分の中には、ちゃんと理由がある。

 自分とちゃんと向き合って真剣に考えれば、福岡で、あの事務所で、何がしたいのか、何をすべきなのかはきっと姿を表してくれる。

 それらならば、旅行の日まで、そして旅行の間、しっかりそれと向き合ってみよう。

 それはきっと、今でなければ出来ないことだから。

 ほたるちゃんと先輩が分かり合う機会が訪れた時のように。

 裕美ちゃんが輝きに気付いたのが、その時だったように。

「うん、大事にする」

 私は笑って、立ち上がりました。

 考えはまとまっていないけど、気持ちはなんだかさっぱりしています。

「お礼に、お昼ごはん好きなもの奢ってあげるね」

「千鶴ちゃん大好き」

「ありがとうございます!」

 先ほどまでの小難しい話はどこへやら。

 わっと年相応の歓声をあげる2人を見つめながら、私はその日へと思いを馳せていました。

33 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:19:43 ID:UIc
○佐藤、千鶴に土産話を要求する
・3月2×日20時40分/東京駅東海道線下りホーム


 夜の駅には、いろいろなものがあふれています。

 どこかで線路の鳴る音、スチームが吹き出す音、雑踏。

 いろいろなものが混じり合った駅のにおい。

 せわしなく行き交う人の波、荷物を抱えて列車を待つ人々……。

 明るい照明の下を昼間と変わらず沢山の人が動き続ける光景は夜を感じさせませんが、ホームに上がって線路の上の空を見上げれば……そこはもう、たしかに夜の空。

 私と泰葉ちゃんが九州に旅立つ夜なのです。

 人波から距離を取り、壁にもたれて確認すれば時間はまだ21時に少し前。

 泰葉ちゃんとの待ち合わせ時間にはまだもうちょっとありました。

 駅に来る前にどこかで暇を潰してもよかったのですが、早く着いてるに越したことは無いし、一度ホームに上がってからどこかに出て行くのも気が引ける。

 結局私は手持ち無沙汰になって、動き続ける駅の景色を眺るのでした。

 ……そういえば、上京してくるときも、ここに着いたなあ。

 ぽかりと、そんなことが頭に浮かんできます。

 母が一緒に行こうかと言ってくれたけど、断って。1人で東京を目指したっけ。

 行くと決めたはいいけれど、プロデューサーさんも彼がくれた機会もまだ色々信じきれなくて、道中ずっと不安な思いをしてたっけ。

 暗い窓に映る自分の顔が、なんだかやけに白く、頼りなく見えたっけ……。

 駅のにおいは、記憶を呼び覚ます力があるのでしょうか。ぽろぽろと、あのころの思い出がよみがえってきます。

 ちょっと景気の悪い話ばっかりなのはまあ、私が上京してきたのってあの負けバトルのすぐ後だったから、仕方ないことでしょう。

 ……そういう暗い思い出のある福岡に戻って、あの人たちに再会して『どうするべきか』は、まだはっきりと形になっていません。

 考え続けてはいるのですが、どうしてもはっきりと、目指す結果が見えてこないのです。

 旅程を考えても残り時間はあと数日。

 考えすぎてまた堂々巡りにはまるぐらいなら、いっそちょっと開き直って旅行を楽しめばとも思うのですが、そう簡単に気持ちの切り替えが出来れば世話はありません。 

「……あ」

 どこでどう考えがつながったのでしょう。

 不意に、全体に派手な色をした馴れ馴れしい笑顔が脳裏を掠めました。

34 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:20:25 ID:UIc
 そういえば予定が合わなくて、あの人には里帰りのことを伝えていませんでしたっけ。

 後で知ったらウザく絡まれることは目に見えてるし、一応……いえけっこう、だいぶ、お世話になってるし。

 一応知らせておくのが同じ事務所の先輩に対する礼儀というのもでしょうか。

 そんなことを考えながらスマホを取り出して、コールひとつ、ふたつ。

『はーい☆ はぁとです☆』

「わあっ!?」

『そっちから掛けてきといて驚くのは誰だー?』

 あっと言う間につながって、耳に飛び込んでくる甘い声。

「こんばんは、松尾です。千鶴です……なんであっと言う間に出るんですか心さん。暇なんですか」

『いやーん、千鶴ちゃん? ナイトコールなんてはぁとう・れ・し・い☆ 2人のハート、通じ合っちゃったカナ?』

「通じ合ってません。切りますね」

『おいおい待て? そこは合わせろよ☆ なんか用事があって電話くれたんじゃないの?』

「ええまあ一応……今、お時間大丈夫ですか」

『大丈夫だぞ? 今スキンケア中で顔中にキュウリ貼ってすっげえ顔になってっけど☆』

「想像しちゃったじゃないですか!」

『笑い堪えてるだろ? あとでミーティングな☆』

「自分から言っといて、それはさすがに理不尽では」

 いつも通りすぎる調子に、笑えてくるやら眉が寄るやら。

 私はきっと今、すごく微妙な顔をしているに違いありません。

『……あれ、なんか音が聞こえる。駅?』

「耳いいんですね……東京駅です。実はこれから、福岡に行くんですが」

 妙な鋭さに内心舌を巻きながら、私は手短に事情を伝えます。

 心さんとの電話って、なんだか気が付くと長くなっちゃうんですよね。

『ふーん、そっかー、福岡になー?』

「ええ。それでご報告と、あとお土産なにがいいかと思いまして」

『いいの?」

「ええまあ、いつもお世話になってますし」

『いやーん☆ はあと感激! 涙があふれてキュウリがずり落ちちゃうー☆』

「そういうのいいですから!」

35 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:20:48 ID:UIc
『ふふふ、また笑ってるなー?』

 仕方ないじゃないですか。私の脳内の心さん像はもう相当おもしろいことになっているんですから。

「変な顔してると目立っちゃうじゃないですか。ちょっと真面目に返答してくださいよ」

『うーん、でもでも迷っちゃうなー? きゃわいいスイーツとかもいいしー。化粧品とかー、アクセとかー』

「日本酒でいいですね?」

『オイ、雑に決めんな☆』

「いいでしょう? 日本酒と明太子でも買っていけばだいたい文句ないくせに」

『いやーん、まあ確かにそうだけどー……あれっ?』

 私の憎まれ口に乗ってけらけら笑ってた心さんが電話口で首を傾げるのが、気配で伝わってきました。

『福岡って焼酎だと思ってたけど、違うの?』

「そこに引っかかるんですか、さすがは酒飲みですね」

『誉めてないな? 解るゾ☆ ……あんまり南のほうだと発酵がうまくいかないって聞いたことがあるんだよね。東南アジアやインドのほうにヨーロッパみたいな山形のパンが無いのもそれが原因だって』

「え、そうだったんですか」

 そういえば確かにヨーロッパのパンは堅くて丸い。ナンは薄くて柔らかくて平べったいパンです。

 心さんの意外な博識に、私の声が思わず高くなりました。

『九州は焼酎が盛んだし、そんなわけで福岡も焼酎かなって思ってたんだけど……日本酒なん?』

「焼酎ももちろん多いんですが、福岡は歴史的に日本酒の土地だそうです。今でも日本で何番目かに蔵が多いって」

『へええ』

「米の産地で水がよくて、案外冬も冷えるから、昔から日本酒の蔵がたくさんあるんだって。私の実家の近くにも、古い酒蔵がありましたよ」

 古くて大きいだけの実家がある、古い町並。

 答えながら、私はそこに昔からあるこれまた古い酒蔵の姿をちらりと思い浮かべました。

『……ああ、そっか。千鶴ちゃんは福岡出身なんだっけ』

「ええ、はい」

『そっかぁ』

 ふと、心さんの声から『はぁと』が剥がれて、素の調子になったような気がしました。

 矢継ぎ早に、よけいなことまでしゃべり続けてた心さんが不意に黙りこみます。

36 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:21:08 ID:UIc
「あの、心さん?」

 私はなんだか自分でも気付かない内心を見透かされたような気がして、呼びかけました。

 そして。

『千鶴ちゃん。はあと、お土産いらないや☆』

 再び聞こえてきた心さんの声は、なんだかとても優しい調子。

「えっ」

『そのかわり、戻ったら土産話を聞かせろよ☆ あっちであった事とかさ。旅行中に考えたこととか、そういうの』

「それで、いいんですか」

『いやーん、もちろん日本酒も明太子も大歓迎だけどぉ ……でも、聞きたいな。聞かせろ☆』

「……いいですよ」

『じゃ、里帰りがんばってな』

「はい」

『ズバッと当たって砕けてこい☆』

「えっ」

 不意を突かれて、声が裏返ります。

『あと便秘には気をつけろよ? 旅行中ってすぐ来っからな☆』

「そういう話やめてくださいよ!」

 だけど、それを追求する前に飛んでくる下世話な忠告に私も引っ張られて、会話はいつもの調子に逆戻り。

 とてもさっきの言葉について聞く感じでは、なくなってしまいます。

「心さんにはデリカシーってものがないんですか? ……あ、ないんですよね」

 収まりの悪さをぶつける、ちょっと意地悪い私の言葉。

『いやーん、心外☆』

 だけど返ってくるのは勿論、いつもの『はぁと』な言葉です。

 なんだか心さんの思いのままにテンションを転がされているような気がしますが……そろそろ、時間切れ。

「……じゃあ、そろそろ時間なんで、切りますね」

 泰葉ちゃんとの待ち合わせ時間まで、もうそれほど間がありません。

 先ほどの言葉に後ろ髪を引かれますが、もう切り上げる頃合いなのです。

『じゃ、行ってらっしゃい』

「はい、行ってきます」

『おやすみー、ぐっなーい☆』

 ぷつり。

 あっけなく通話の切れたスマホを見下ろして、私は息をつきます。

37 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:21:27 ID:UIc

「里帰り、がんばって……か」

 ふつう、旅行にでるものに送る言葉は『気をつけて』でしょう。

 頑張って、はちょっと不自然。

 ……心さんは、私が里帰りを決めた理由に、気付いているのでしょうか。

 話した覚えはないんですが、解らないんですよね。

 あの人顔が広いし、妙なとこ鋭いから……でも。

「でも、気付いているなら当たって砕けろはないじゃない」

 思ってたことがそのまま口に出ます。

 当たって砕けろって。

 気が付いてるなら気付いているで、もっとこう、言葉があるんじゃないですか。

 うまくいくといいねとか、幸運をとか、普通そういうんじゃないんですか。

 ああでもそうか、佐藤さんはぜんぜん普通のオトナの人じゃないんだった。

 だいたいあの人はいつだって――

「千鶴ちゃん、お待たせ!」

 背中のほうから泰葉ちゃんの声が飛んできたのは、ちょうどそんなタイミングのことでした。

38 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:23:10 ID:UIc

:○泰葉と千鶴、夜行列車に乗る
・同日21時30分/同じく東京駅・東海道線下りホーム

「千鶴ちゃん、おまたせ!」

「おつか……なんですかその荷物」

 春らしい旅装でにこにこと表れた泰葉ちゃんに、開口一番私が放ったのは荷物に対するツッコミでした。

「おかしいかな?」

 キョトンと首をかしげる泰葉ちゃんはうんと幼く、あどけなく見えて可愛いのですが、それは置いといて。

「いや、あきらかに大きすぎるよね?」

 そう、荷物が、大きい!!

 普通サイズのボストンバッグにストラップを付けて肩にかけてるのはいいとして、海外旅行にでも行くようなでっっかいスーツケースは何事でしょう。

 たぶんこれ、80リットルは入る奴ですよ。

「そうかな、普通じゃない?」

 けろっとした顔でスーツケースをからから転がして見せる泰葉ちゃん。

 いやいや。

 いやいやいや。

「ホテルに荷物放り込んでロケするわけじゃないから。私たち、荷物持っていろいろ移動しなきゃいけないからね?」

 ホテルを拠点に観光地を見て回るならそれでもいいかもしれませんが、今回は移動のついでに観光をしようというていですから大きな荷物はかなり邪魔。

 だいいち今夜の列車泊を含めても行き道二泊の旅行に、これほどの荷物が必要になる筈が――

「必要な分だけ、入れてきたつもりなんだけどなあ」

 だけど、泰葉ちゃんはちょっぴり困り顔。

「たぶん、この半分でもいいよ」

 私は笑って請け負います。

「列車の部屋に落ち着いたら、一度荷物を確認させてね」

 サンライズ出雲の発車時間は22時すこし過ぎ。

 乗り込めばあとは泰葉ちゃんと色々話して寝るだけ……と思っていましたが、夜行列車の旅の始まりは、ちょっぴり忙しいものになりそうでした。



39 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:23:35 ID:UIc


:・同日22時30分/サンライズ出雲車内、サンライズツイン室

「帽子は三つもいらないと思う」

「はい」

「薬が沢山入ってるね」

「うん、酔い止めとかお通じの薬とかビタミン剤とか、普段ロケの時に持って行ってる薬を色々とね」

「必要だけど箱ごとは要らないかな。2日分だけ小袋に入れちゃおう。なんなら道中で買い足せるし」

「なるほど……お財布はふたつ持って行っていいよね?」

「うん、それは絶対あったほうがいいと思う……あれ? この下着、泰葉ちゃんのサイズじゃないような」

「ああ、それは千鶴ちゃんの分の予備」

「何故私の分まで!?」

「足りないこともあるかと思って」

「充分持って来ましたので無用の心配です……というか泰葉ちゃんよく私のサイズ知ってたね」

「レッスンの時とかどれだけ一緒に着替えてたと思ってるの。サイズはすっかり目測済みだよ」

「うわほんとにぴったりだ……まさか友達にぱんつのサイズまで把握されてるとは思わなかった……!」

 汽笛一斉新橋を、はや我が汽車は離れたり……ってわけで。

 ごとごと動き出した列車の中、窓を流れていく景色も見ず、私たちはさっそく泰葉ちゃんの荷物の選別に取りかっていました。

 ふたつ並んだ寝台に、ずらりと広げた泰葉ちゃんの荷物。

 これを2人で相談したり私が説得したり、時に脱線したりしつつ選別し、必要分だけを泰葉ちゃんのボストンバッグと私のサブバックに詰め直す。

 そして不要分の荷物と今夜脱いだ2人分の汚れ物は、スーツケースに詰めて明日の朝イチで岡山駅から宅急便で女子寮に送り返し、軽い荷物で旅をしましょう、という算段なのです。

「さすが、手際いいね」

 ちょっと決まり悪げに唇とがらせて、必要分の衣類をボストンバッグに詰め直す泰葉ちゃん。

「まあね。1人移動、多かったから」

 誉めてもらえているのに、つい『自慢することじゃないけどなあ』って感じの顔になってしまいました。

40 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:24:21 ID:UIc
 福岡ご当地アイドル時代は1人で移動ってことも少なくはありませんでしたから、私は比較的こういうことには慣れているのです。

 ……GBNSの4人でお出かけする時、てきぱき先導してくれるのはいつも泰葉ちゃんでした。

 だから私は勝手に旅慣れた印象を持っていて、この大荷物はちょっと意外だったのですが……考えて見れば今の事務所では、私たちだけで泊まりがけの移動なんてやったことがありません。

 遠隔地への遠征も少なくないのに移動には必ずプロデューサーさんかスタッフのどなたかが付き添ってくださるし、荷物だって大型のボックスカーがありますからあまり気にする必要が無いのです。

 そもそも機会がないのなら、泰葉ちゃんが自分たちだけの移動に不慣れなままでも、決しておかしくはないのかも知れません。

 本当、今の事務所の待遇は福岡の事務所とは大違い。

 まあもちろん福岡の事務所と今の事務所では規模がぜんぜん違いますから、ここだけを取って前の事務所がどうこうなんて言うことはできませんが。

 移動の待遇についてはスタッフさんも私と同じかもっとキツかったぐらいで、決して私がないがしろにされていたわけではありません。

 事前取材で現地入りしてるスタッフさんと合流したら、機材の詰まった車の中で折り曲がるみたいにして仮眠してたのを見て目を丸くしたこともあったっけ。

 ともあれ。

「自分たちで動く旅行は、ちょっとぐらい不便でも動きやすさを優先したほうがいいんだよ。いざとなれば、必要なものは現地で調達すればいいんだから……はい、おしまい」

 ばたん。

 色々詰め込んだ巨大トランクを音高く締めて、とりあえずは終了宣言。

 あとはこれを部屋の隅っこに押しやって眠るだけ。

「ご苦労かけて申し訳ありませんでした」

 芝居がかった仕草で正座三つ指、深く頭を下げる泰葉ちゃん。

「いえいえ、わたくしこそ差し出た真似をいたしまして」

 私もお芝居に乗っかって、大げさに頭を下げてみたりして。

 で。

「……というわけで。ねえねえ千鶴ちゃん千鶴ちゃん」

 深く下げていた顔を上げると、泰葉ちゃんは眠気を感じさせないわくわく顔して私に迫って言うのです。

「ジャンケンしよう、ジャンケン」

「えっ?」

 別にいいけど、なんで。

41 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:24:42 ID:UIc
「勝ったほうが好きな寝台を選ぶの。私、窓側がいいな」

 私の顔に書いてある疑問に、泰葉ちゃんはにこにこ答えます。

 私たちのお部屋には、伸び伸び足をのばせるサイズの寝台がふたつ。

 片方は窓側、そして片方が通路側、というわけです。

 別にどっちだっていいと言えばそれまでですが。

「えー、私も窓側がいい」

 だけど今日はそんな気にならないのは、何故でしょう。

 唇ちょっととがらせて、私だって窓側希望と主張します。

 通路側には通路側の利点がありますし、窓側も光や音が入ってきたりといいことばかりじゃないと理屈では解っているんですが、それでもこんな旅の日、窓際のベッドはなんだか特別なものの気がします。

 となれば答えは、決まってて。

「乗るよ、ジャンケン」

 さっとグーを作って了解の合図。

「そうこなくちゃ」

 にやりと笑ってパーで応じる泰葉ちゃん。

「1回勝負?」

「3回勝負で行こう。さいしょはグーね」

 双方合意、ぱぱっとルールを確認すると、お互い手を組んでひねったり指の間をのぞき込んだりしてゲン担ぎ。

「手加減しないよ泰葉ちゃん」

「勝つのは私だよ千鶴ちゃん」

 悪い顔で煽りあって最初はグー。手を振り上げて、

「じゃんけんぽん!」 泰葉○-千鶴●

「じゃんけんぽん!!」泰葉○-千鶴●

 あっさり泰葉ちゃんに2本先取されてしまいました!

「えーっ、強くない!?」

「えへへ、やったあ」

 決まり手のチョキを高く上げ、ご満悦の泰葉ちゃん。

 ああ、窓側のベッドが。旅の夜明けが……。

42 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:25:38 ID:UIc
「うーん、顔に出てたかなあ」

「ひみつでーす……もーらいっ」

 ぽん、とベッドに飛び込んで笑う泰葉ちゃん。

 嬉しそうなのは希望通り窓側のベッドを取れたからでしょうか。

 それとももしかして、こういうやりとりそのものが楽しいのかも。

 たぶん、普段の泰葉ちゃんならあんなジャンケンをしようなんて言い出しません。

 まだ旅は始まったばかりですが、普段はGBNSのお姉さん役としてしっかり者の泰葉ちゃんが、今日は殊更幼げに振る舞っているよう。

 それはもう走り出した列車の中、誰も見ているものは居ないという安心感からでしょうか。

 そしてこれからの旅が、2人だけが知る秘密の時間になるからでしょうか。

 これから旅をしてゆく数日間、私たちは色々な人と出会うでしょう。

 同じ観光地を目指す人、同じ場所を目指す人は沢山いるでしょう。

 旅が終われば、裕美ちゃん、ほたるちゃん、事務所のみんなに土産話をするでしょう。

 だけどこの旅の数日を本当に共有する事が出来るのは、私と泰葉ちゃんの2人だけ。

 そんな旅の始まりで泰葉ちゃんのいつもと違う顔が見られたのは、なんだか特別なことのような。

 わざわざ子供っぽい姿を見せてくれたのは、秘密を共有しようという泰葉ちゃんからの誘いのような、そんな風に思えたのです。

 だから私も引っ張られて、普段しないようなベッドの取り合いなんかしちゃったりして。

 それがなんだか、とても楽しくて。

「岡山からの電車は、私に窓側座らせてね?」

「勿論だよ」

 雑に出した交換条件もけろりと呑んでくれるのだから、言うことなし。

 なんだか今夜は楽しい夢が見られる気がします。

43 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:26:11 ID:UIc


「明日は6時には動けるようにしておかないとね」

 スマホを操作して、時計を早めの時間にセット。

 仮にもアイドル、女の子とあろうものが起き抜けで動くわけには行きませんから、余裕を持って起きたいものです。

「なんだか勿体ない気がするけど、仕方ないかあ」

 泰葉ちゃんもさっさと寝間着に着替えてスマホをセット。

 ワイヤレスのイヤホン付けてるのは、寝る前に音楽でも聞くつもりなのでしょうか。

 聞き慣れた音楽はリラックスさせてくれるって言いますし……あれっ?

「泰葉ちゃん」

「なあに?」

「それ、8thの録音?」

 微かに漏れてくる音に聞き覚えがありました。

「あ、鋭い」

 笑ってイヤホンの接続を切り、泰葉ちゃんは曲を聞かせてくれました。

 それは去年の11月に開催された、事務所の8thアニバーサリーイベントライブの録音。

 ほたるちゃんたち個々のステージから全体ステージにつながる、あのライブのことは、今でもはっきり覚えてます。

 流れてる曲は、ちょうどほたるちゃんのステージのパート。

 いつもはちょっとか細い感じの声が弾むように明るくて、聞いてるだけであの日のほたるちゃんの笑顔が思い出せるみたいでした。

 舞台の上で輝く笑顔。

 仲間同士で交わす笑顔。

 両親を見つけた泣き笑い。

 そして全てをやりとげ達成感に満ちた、あの笑顔――

「……いいよね」

 曲だけでなくそこから蘇ってくるあの日の思い出に、つい語彙力が失せた感想になってしまいました。

「うん、いいよね」

 だけど泰葉ちゃんの返答も簡潔さでは似たようなもの。

 傍らに置いたスマホにしみじみと視線をむけて、泰葉ちゃんもあの日のほたるちゃんを思い出しているのでしょうか。

44 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:27:08 ID:UIc
「節目の季節じゃない。なんか、そう思ったら聞きたくなって」

「ああ」

 泰葉ちゃんの言葉に得心して、私は居住まいを正します。

「そういえば遅くなっちゃったけど。泰葉ちゃん、無事進級おめでとう」

 この春私は高校2年に、泰葉ちゃんは高校3年生になります。

 出席日数が限られて、毎日レッスンとお仕事でへとへとで。

 そんな中で3年間きちんと結果を出してる泰葉ちゃんは本当に凄い。

 私も見習って勉強とお仕事を両立させなくちゃ。

「ありがと。まあ、おめでとうばかりじゃないけど」

 そんな思いがもろに顔に出ていたのか、答える泰葉ちゃんは照れ臭そう。

 ……節目。

 高校3年生は、選択の季節。

 進学、就職。

 将来にむけた大きな岐路がそこには待ち受けているのです。

 泰葉ちゃんはここからの進路に、すでに方針を持っているのでしょうか。

 大学進学?

 高校卒業したら進学せずに、アイドル活動に専念する?

 ううん、たしか高校卒業を区切りにアイドルを『卒業』して普通に就職しちゃう子も居るって聞いたことが。寂しいけどそういう進路だって」

「出てる。千鶴ちゃん口から出てる」

「ハッ!?」

 笑いを堪えた泰葉ちゃんに指摘されて口をふさいでも、時すでに遅し。

 私はくすくす笑う泰葉ちゃんの目の前で両手で口を塞いだまま、顔を赤くするしかありません。

45 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:27:55 ID:UIc

「アイドルは続けるよ。絶対に」

 泰葉ちゃんの手が延びて、私の髪を撫でました。

 優しい顔。

 さっきベッドを取り合った時とは大違いの大人びた表情は、泰葉ちゃんが年齢以上に経験豊かなお姉さんなんだと実感させてくれます。

「アイドルを続けるのは前提として、事務所からも学校の先生からもいろいろ提案をいただいてて……ちょっと考えてるの」

「そうなんだ」

 少しほっとして。

 同時に、自分自身も来年体験するであろう選択に思いを馳せ、私は流れてくるほたるちゃんの歌声に耳を傾けました。

「節目。節目かあ……」

 来年、そしてその先にむけて。

 新しい挑戦、やりのこし、思い残し。

 考えるべきことはきっと、沢山あって……。

「……ねえ、泰葉ちゃん」

「なあに?」

 だからふと、聞いてみたくなりました。

「泰葉ちゃんは、あの時ああしておけばよかった、って思う事はある?」

「もちろん、あるよ」

 泰葉ちゃんはあっさり頷いて、ころんとベッドに横たわります。

「……その場その場では出来る限りの事をしたつもりでも、時間を置いて振り返ると出てくるよね。ああすればよかった、こうすればよかったってくよくよと……後から思いついても、仕方ないのにね」

「……うん」

 なんだか言葉が刺さるみたいで、視線が自然と下がりました。

 視線の下にはなにも握られてない、私の手。

 手遅れになってから気付くこと。

 筆を置いたその後でないと見つからないしくじり。

 あのときの自分にも出来たはずの冴えたやりかた。

 何故このことに、あの時気付けなかったんだろう。

 今更気付いてどうしろって言うんだろう。

 それは私も抱えた後悔です。

 泰葉ちゃんにも、あることです。

 きっと誰にでもあるのかもしれません。

 ある日ふと自分の来し方を振り返って、もう決して手の届かない遠い日の行いに胸を痛める、そんな事が。

46 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:28:18 ID:UIc

 ああ、そうか。

 私はほたるちゃんと裕美ちゃん、2人の笑顔を思い出しました。

 あの時感じた、胸の痛みを思い出しました。

 私はきっと、うらやましかったのです。

 先輩の手をもう一度取ることが出来た、ほたるちゃんが。

 その背中を押した裕美ちゃんが。

 あの時、ほたるちゃんのためにやり直しの機会をたぐり寄せた、皆が。

「泰葉ちゃん」

「なあに?」

「今日は、その曲流しながら寝ない?」

 思わず口から出た、そんなお願い。

 泰葉ちゃんは黙って少し音量を下げて、寝るのに邪魔にならない程度にしてくれました。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 頭を下げる私に、横着に首だけ向けて応じてくれる泰葉ちゃん。

 その瞳になんだか悪戯っぽい色が浮かんでいるのは何故でしょう。

「そのかわり、今度は千鶴ちゃんのコイバナ聞かせてね」

 疑問は瞬時に氷解しました。

「コイバナ!? な、なんで!?」

 ぶわーっと頬が赤くなるのが解ります。

「だって音楽かけてあげるし、センシティブな質問にも答えたし。今度は私が質問する番じゃない?」

 さも当然って顔で指折り数える泰葉ちゃん。

「コイバナなんて無いですよ。私たちアイドルじゃないですか!」

「現在進行形のコイバナはなくても、初恋の思い出とか好みのタイプとか、いろいろあるでしょ。聞かせて聞かせて」

47 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:28:33 ID:UIc


「ええええ」

 唐突な展開に、私の胸のしんみりはすっかり吹き飛んでしまいました。

 あと、明日は早いんだから早く寝なくちゃって認識も。

 泰葉ちゃんのコイバナ追求をきっかけに、かっこいいと思う芸能人の話、学校の話、ここに居ないほたるちゃんと裕美ちゃんの話。

 話し出したらいくらでも話したい事があるような気がしてきて。

 話すほど楽しくなってくる気がして……。

 私たちは2人だけの秘密の話を沢山たくさんして、騒いで、笑って。

 そうして並んで眠りにつきました。

 聞いているのは同じ曲。

 だからひょっとして、みた夢も同じだったかもしれません。

 それはほたるちゃんの夢、みんなの夢。

 きらきら輝く、ステージの夢でした。



48 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:28:52 ID:UIc





 ――夜中。
 
 ふと目の前を明かりがよぎったような気がして、私は目を覚ましました。

 暗い室内が、列車の寝台室だと思い出すのに、すこし時間がかかりました。

 窓の外を、街灯の灯りがまぶしく通り過ぎて行きます。

 寝るときに閉めたはずのカーテンが開いているのです。

 ぼんやりと視線を巡らせれば、窓際に影。

 膝を抱えるみたいに寝台に腰掛けて、泰葉ちゃんが窓を見ていました。

 黙って、じっと、見ていました。

 どうしたの?

 私はそう問いかけそうになりました。

 そして、それを堪えて口をつぐみました。

 だって、青白い薄明かりを浴びたその顔が、ひどく寂しげに見えたから。

 寝るまであんなにはしゃいでいた、無邪気な表情が嘘みたいだったから。

 泰葉ちゃんはきっと、今の顔を見られたくない。

 それがはっきり解る気がしたから。

 ……泰葉ちゃんはまんじりともせず、車窓を見つめています。

 かけっぱなしだった8thライブの音源、ほたるちゃんの歌声が、今も小さく流れ続けていました。

 私はそれを聞きながら、目を閉じて寝たふりをしました。

 泰葉ちゃんの表情の理由は、なんだろう。

 寝るまでの顔は、演技だったのでしょうか。

 もしかして泰葉ちゃんは、そもそもこの旅行が――

 色々考えることはあったと思いますが、どれもはっきり形になることはありません。

 目を閉じた私の『寝たふり』が、『ふり』でなくなるまで、たいした時間はかからなかったからです……。 

49 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:29:28 ID:UIc
○千鶴と泰葉、観光する
・午前6時35分/岡山駅周辺

「千鶴ちゃん、夜明けだよ夜明け!」

 私がみたあの顔は、夢だったのでしょうか。

 起きてみればそんな風に思えるくらいに、泰葉ちゃんは朝からハイテンション。

「わあ、列車から見る夜明けって初めて……!!」

 朝焼けに染まる景色の鮮やかさに私も思わず歓声あげて、2人してはしゃいでしまうのですが、そうして居られたのも列車を降りるまで。

 岡山駅に降りたって、私たち2人は新たな問題に直面することになりました。

「千鶴ちゃん、いま何時?」

「まだ6時半ぐらいかな」

 2人のおなかが、揃って鳴りました。

 現在時刻、午前6時35分。

 お目当てのクロックムッシュのお店が開くまであと2時間。

 ついでに岡山駅の宅急便直営店が営業を始めるまで1時間半。

 とりあえず荷物をコインロッカーに放り込んだ私たちは、まだ人通りも少ない駅前で2人揃って空きっ腹を抱えているのです。

「おなかすいたね」

「ほんとにね」

 実感のこもった泰葉ちゃんの呟きに、しみじみ同意します。

「いっそクロックムッシュは諦めて、牛丼屋さんかコンビニにでも入っちゃう?」

 答えは予想がつくんだけど、一応提案だけはしてみます。

 まだ開いてる店も少ない時間ですが、駅前のコンビニとか24時間営業の店はいくつか開いています。

 だから手っ取り早くお腹を満たしたいなら容易いこと、なんですが。

「うーん」

 案の定、泰葉ちゃんは渋い顔。

50 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:30:01 ID:UIc
「旅に出て初めての食事が東京にもあるチェーン店とか、なんだか侘びしくない?」

「それなんだよねえ」

 先ほどの倍ぐらい実感を込めて、全面的に同意する私です。

 いや、旅のお食事って大事じゃないですか。

 大事じゃないですか!!

 せっかくだから、ここにしかないものを食べたいじゃないですか。

 お仕事で移動してるんならともかく、わざわざ休みにお友達と旅行してるのにコンビニごはんじゃなんだか……そう、侘びしいです。

 となればぼーっと空腹を分かち合ってるより、活動開始と行きたいところ。

「とりあえず、例のプロデューサーさんのお勧めって何があったっけ」

「えーと、先に後楽園に行って観光したらどうかってさ」

 スマホを手繰って、泰葉ちゃんがマップを見せてくれました。

 昔岡山のお殿様が作ったという後楽園は、地図で見る限り岡山駅からさして離れてないみたい。

 開園が7時半、マップの下に出てる縮尺がこのぐらいだから、えーと。

「よほどゆっくり歩いても、1時間はかからないね」

「レッスンもないんだし、ちょっと歩いておきたいかな」

 距離を確認して泰葉ちゃんも頷きます。

 そう、ちょっと歩いておきたいんですよね。

 なんたってこれから数日はレッスンもお仕事もなし、食べる機会据え置き、移動は乗り物だけのお休みモード。

 休暇明けの体重計とトレーナーさんの顔が今から気になるところなんですから。

「コンビニでお茶ぐらいは買っておこうか」

 寝起きで少し脱水気味だしね。

 至極真面目な調子で体を伸ばし始める泰葉ちゃんをみていると、むくむくと悪戯っけが持ち上がってきました。

「賛成。烏龍茶買ったら怒る?」

「もー。人をなんだと思ってるの」

 他愛のない軽口、返ってくる笑い。

 私たちは、ゆったりと朝の街へと歩き出しました。

 
 ◇

51 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:30:47 ID:UIc
 ◇


・午前9時30分/岡山駅近くの喫茶店

「すごかったね……」

「うん、すごかったね……」

「桜きれいだったね……」

「桜きれいだった……」

 後楽園を予定よりたっぷり時間を掛けて見てまわり、お目当てのクロックムッシュを求めてお店に落ち着いてもなお、私たちの会話はかくのごとし。

 後楽園を後にしてから私たちが口にした言葉は『すごかった』『きれいだった』『また来たい』、基本この3つの繰り返しです。

 あの庭園を後にしてもうしばらく経ったと言うのに、目を閉じれば新緑の芝生と満開の桜が一面に広がっているみたい。

 もしかして閉じた目を開いたら、私はまだあの桜の下にいるんじゃないかしら。

 ううん、もしかしたら私の心はまだ半分、あの庭園をさまよっているのかも。

 そんなことを考えてしまうぐらいには、あの景色に心奪われていたのです。

「やばい、行ってよかった」

「ほんとに」

「また行きたいね」

「ほんとに」

 ぽーっと夢見心地に頷きあいながら、後楽園の景色を思い出します。

 ああいうのが、本当の日本庭園というものなんでしょうか。

 自然の美しいところだけを凝縮したような場所。

 だけど、自然のままの場所は一つだってありません。

 人の手によって置かれた森や丘の間を縫うような経路をたどれば、私たちは次々美しい場所に導かれます。

 それはきっとどれも、庭を作った誰かが見せたい庭の顔。

 丘も森も、そして道も、あの場所にはただそれそのものとして置かれた物は何一つだってありません。

 人の手で置かれた森や丘は順路を限り、色々なものを隠して庭を何倍も広大に見せ、庭を作った人が見せたいその景色が一番美しく見えるタイミングまで景色を隠しておいてくれるのです。

 そして、道が開けて私たちを招き入れてくれた景色はどれも素敵で、素敵で……。

 ああ、視界が開けて、鮮やかな新緑の芝生と満開の桜が目に飛び込んできたときの驚きといったら!

 池を挟んで地上に咲き誇る桜と水面に映る桜を同時に見たときの気持ちを、どう表現したらいいんでしょう。

52 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:31:21 ID:UIc
 そして私たちはきっと、時間にも恵まれていたのでしょう。

 朝一番に庭園を訪れたおかげか、庭園を歩くのは私たち2人だけ。

 しんと静まった春の朝、桜はまさに一瞬の盛り。

 早朝の澄んだ空気と静けさの中、他人の声にもほかの何にも邪魔されずただ黙って桜に魅入られていることのできたあの時間は、きっと滅多に体験できるものでは無かったのです。

 誰かにあの美しさを伝えたい。

 誰かとあの美しさを共有したい。

 伝えたい言葉はいくらでもあるような気がします。

 だけど口を開こうとすると、たくさんあった筈の言葉はたちまち霧散して、ちっとも形にならなくて。

 どんな言葉を並べても、あの桜のことを伝えられないような気がします。

 ほんとう、写真でもなければあの素敵な景色を説明出来る気が……

 あっ。

「あーっ!!」

 思わず声を上げて、立ち上がってしまいました。

「どうしたの、突然」

 面食らう泰葉ちゃん。

 びっくりして私を見てるお店の人。

 だけどそんなの、気になりません。

「後楽園の写真、1枚も撮ってない……!」

 だって、写真を撮りわすれたガッカリが大きくて、恥ずかしさまで気が回らなかったんですもの。

「あ、そう言えば私も1枚も撮らなかった」

 泰葉ちゃんも今気が付いたって顔をしてます。

「というか、スマホを出そうとすら思わなかった」

「そうなんだよね。しまったなあ」

 店の人たちにすみませんと頭を下げてからしょぼんと着席、私は肩を落とします。

 あの光景は本当にあの一瞬のものでしょう。

 明日には、桜の姿もまた変わっているでしょう。

 日差しも上がって人も増えてるはずだから、もし今すぐ見に戻っても、あんなにきれいには見えないかも。

53 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:31:57 ID:UIc
「勿体ない。ほたるちゃんたちも見せてあげたかったのに」

「でも、かえって良かったかもしれないよ」

 しょげる私によしよしと笑いかけて、泰葉ちゃんがそんなことを言いました。

「どうして?」

「だって写真撮ってもあの通りに綺麗にはたぶん見えなかったし、伝わらなかったよ」

「……ああ、それはそうかも」

 泰葉ちゃんの答えは腑に落ちました。

 すごく盛り上がったライブを録画してもらって後から見ても、あのときそのままの感激は伝わって来ません。

 その時の感激を、熱を思い出すよすがにはなりますが、私たちが感じたものを映像の中に閉じこめることは出来ないものなのです。

 あの時私たちが後楽園で感じたものは、あのときあそこに居た私たちだけが知りうるもの。

 もし写真を残して後から見え返しても、確かにきれいだけどこの程度だったっけ……と首を傾げることになるのかもしれません。

「写真を撮るのも忘れるぐらい夢中になれたってことだもん。その事のほうが素敵じゃない?」

「……うん」

 泰葉ちゃんと私は時間を掛けてあの庭園を味わいました。

 きれいだね、なんて雑談してたのは最初だけ。

 朝露に濡れた庭園を歩くうち、ふたりして言葉を失って。

 口から出るのはため息や、息を呑む音、そのぐらいで。

 出口にさしかかって握り合ってた手を離したけど、いつから手を握ってたかも覚えてなくて。

 スマホを取り出すことさえ忘れたあの時間は、きっと何にも代え難いものなんです。

 ああ、そうか。だとすると。

「あの景色は、私たち2人だけの物になったんだね」

 それは素敵なことだと、私は思いました。

54 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:32:17 ID:UIc

「ふふ。ほたるちゃんたちには話だけしか伝えられないけど……たっぷり羨ましがらせてあげようね」

 泰葉ちゃんが、笑いました。

 これは旅する私たちだけの秘密。

 言葉で伝えても伝わりきらない2人だけの思い出のひとつめです。

「はい、クロックムッシュのモーニング、お待たせしました」

 笑いあう2人の間に、店員さんがプレートを運んできてくれました。

 待ちに待ったモーニングに、お腹もグウと鳴っています。

 ああもう、なんていいにおいなんでしょう!

「いただきます!」

「わああなにこれおいしい」

「罪の味がする……これ毎週食べたい……」

「あっ、今度こそ写真」

「もう遅いよ。半分食べちゃったもん」

「仕方ないよね、お腹すいてたもんね……」

 写真に収まらない2人だけの思い出は、まだまだ増えることになりそうなのでした。


 ◇

55 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:32:44 ID:UIc
 ◇

 
 30分後。

「はあ、食べた……」

 食後のコーヒーまでしっかり美味しくいただいて、私たちは2人して食事の余韻に浸ってまったりモード。

 高くなってきた日差しが窓から差し込んで暖かくて、うっかり眠ってしまいそう。

「このまましばらく、ここでぼんやりしていたいなあ」

「そうも行かないよ」

 半分とろけた泰葉ちゃんの言葉には私も全面同意なのですが、この後の予定というものがありました。

 駅に戻って今度こそあのトランクを宅急便で送り出し、次の目的地に移動しなくてはならないのです。

「今度はどうする予定なんだっけ」

「えーとね」

 言いながら、泰葉ちゃんはタブレットの地図を立ち上げました。

「まず倉敷まで移動して美観地区を観光ね。それから……」

 きれいな指が、地図をなぞります。

 倉敷から尾道。山口に入って錦帯橋……優美に滑ってゆく指の動きに、私は思わず見とれます。

 だけど線路をたどって下関、そしてそこから船に乗って……九州に上陸する前に指の動きはぱたりと止まって、泰葉ちゃんはどこか途方に暮れた様子で眉を下げるのでした。

 滑らせていた指をどう進めていいのか、突然わからなくなった。

 そんな風情の困り顔に、どこか覚えがある気がします。

 車窓を見つめる泰葉ちゃんのあの顔と、繋がっている気がしました。

 私もついこの間まで、こんな顔をしていた気がしました。

 里帰りが決まって、だけど踏ん切りが付けられなくて。

 悩んで、どうしようもない過去のことを何度も何度も思い返して――

「……ねえねえ、千鶴ちゃん」

 かけられた声に顔を上げると、いつの間にか泰葉ちゃんの顔から困惑が消えていました。

 かわりに浮かんでいるのは、いたずらっ子みたいな笑顔です。

56 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:33:04 ID:UIc
「ここからだとさ、鳥取も近いと思わない?」

「え、鳥取? 鳥取って鳥取?」

「そうそう。鳥取と言えばあの鳥取」

 途方に暮れたような困惑顔と、自分の思いつきが楽しくて仕方ないとでも言いたげな笑顔。

 その落差が飲み込めないでいるうちに投げかけられた言葉はさらに唐突で、私は目を丸くして泰葉ちゃんのタブレットをのぞきこみました。

 鳥取は言わずと知れたほたるちゃんのふるさと。

 正直砂丘があるぐらいのことしか知らないですが、確かに地図でみる限り岡山から鳥取はそれほど遠くないように見えます。

 いえ、もちろんあくまで地図上のことなんですけども……。

「直通で列車もあるみたい。ほら」

 時刻表のページを開くと、確かにそこそこの頻度で岡山と鳥取を結ぶ列車が運行しているみたいです。

 所用時間は片道で1時間と少し程度。2時間おきぐらいに便があって……

「へえ。じゃあ本当に近いんだ……でも、突然何故鳥取?」

 間に中国山地が挟まっているにも関わらず鳥取と岡山が案外にアクセスが良いというのは確かに意外でしたが、そもそも今何故鳥取なのでしょう。

 とりあえず、今から行くのは倉敷の筈でしたよね?

 だがしかし、泰葉ちゃんはニヤリと笑って悪へと私を誘います。

「鳥取の駅前とかで自撮りしてほたるちゃんに送ったら、めっちゃ驚くと思わない?」

「つまり、ほたるちゃんをびっくりさせるためだけに寄り道しようという話ですか」

「その通りです」

 ニッコニコで頷く泰葉ちゃん。

「そりゃ、絶対びっくりすると思うよ」

 そこには、全面同意です。

 だって、そりゃ、驚くでしょうよ。

 九州に行くって言ってた友達が、なんの前触れもなく今度里帰りする予定の故郷から写メ送ってきたら、それは当然驚くでしょうとも!

 考えても見なかった提案に、私の目も丸くなりましたからね!

57 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:33:38 ID:UIc
「思うけど、時間はかかるよ? いくつか観光、諦めなくちゃいけないし」

 いちおう、常識的な忠告はしておきます。

 岡山から倉敷への移動は一応九州に向かう道の途中。

 そこからの旅路も九州に行く道の中で組まれています。

 だけど鳥取に行くのなら、それは完全な寄り道です。

 行って帰ってだけで2時間、向こうで何かしようと考えればそれよりもっと。

 その時間は完全なロスタイムで、本来予定していた行動をいくつか諦めなくてはならないし、用意していた切符はいったんキャンセルしなくちゃいけない分もある筈です。

 もともと切符の用意が難しいから手配をお願いしていたわけですし、もしかしたら代わりの切符を買うのに難渋する可能性もあるわけで……なんて。

 一応賢しげにそんなことを忠告しながらも、私は泰葉ちゃんが『じゃあやめとこうか』なんて言うとは少しも思っていませんでした。

「でも、やったら絶対おもしろいと思わない?」

 ほらやっぱり。

「絶対おもしろいと思う」

 もちろん私も頷きます。

 だって私自身、思いもつかなかった悪戯にちょっとワクワクしていたのです。

 まあ、ただ。

「折角旅券を手配してくれたプロデューサーさんには、ちょっと悪いと思うけど」

「そこを指摘されると、ちょっと痛いなあ」

 もともと律儀な泰葉ちゃんです。

 さすがにわざわざ手配してもらった旅券の一部を無駄にするのは気が引けるのか、天井をあおいで今更の思案顔。

 ……ただ。

「でも、今しかできない事だし。やってみたい!」

 泰葉ちゃんはやっぱり、そう言いました。

「うん、賛成」

 私は笑顔で頷きます。

58 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:33:55 ID:UIc
 今しかできないこと。

 この旅の間にしか出来ないこと。

 ……ロケで色々な場所に出かけることはあったでしょう。

 鳥取にだって行ったことはあるのかも知れません。

 だけどいつも真面目な泰葉ちゃんがこうして誰かの決めた旅程を外れることは、きっと無かったと思います。

 その泰葉ちゃんが、この旅で寄り道を言い出してくれた事が嬉しかったから。

 ……そして、昨夜のあの顔を思い出せば、泰葉ちゃんが寄り道をしたいと言った理由は、私にも解る気がしたから。

「倉敷に行ったフリができるように、あとで情報収集しようね」

 だから私は泰葉ちゃんの企みに、悪い顔でそんな耳打ちをするのです。

「そうだね、口裏合わせておかなくちゃ」

 わくわく顔でお冷やを飲み干す泰葉ちゃん。

 これは私たち2人の旅。

 旅の事を知るのは2人だけ。

 だからこの悪巧みも、内緒の話も、2人だけのもの。

「まあ、後で苦労するかも知れないけど……」

 私はいいながら、泰葉ちゃんに手を伸ばしました。

「それでもきっと、やりたいと思ったらやれば良いんだよね」

 これも、2人だけだからでしょうか。

 そんな言葉が思ったよりずっと素直に自分の口から出てきた事に、私は少し驚いていました。
 

59 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:34:24 ID:UIc

○幕間
・午前11時40分/白菊ほたる、岡崎泰葉、松尾千鶴のLINE通話記録

 <11:40 泰葉が千鶴とほたるを招待しました>
 
泰葉『ほたるちゃん今いい?』

ほたる『あ、大丈夫です。旅、順調ですか』

千鶴『順調順調』

泰葉『私たちは今倉敷に居ます』

ほたる『倉敷。家族旅行で1度行ったことがあります』

泰葉『そうなんだ』

千鶴『綺麗なところだねえ。来てよかった』

泰葉『写真も取ったんだよ。ほら』

ほたる『とっとりえ』

ほたる『鳥取駅じゃないですか!』

千鶴『はてなんの事でしょう』

泰葉『鳥取駅なんてとんと存じませぬ』

ほたる『大国主像をバックに2人でピースしといて何言ってるんですか』

千鶴『ばれたか』

ほたる『ばれたかじゃないです』

ほたる『変な声出ちゃったじゃないですか』

泰葉『驚いてる驚いてる』

千鶴『やった甲斐があった』

ほたる『どうして、2人が鳥取に居るんですか』

泰葉『ほたるちゃんをびっくりさせようと思って』

千鶴『私は止めたんだよ?』

泰葉『裏切り者が居る』

ほたる『すごくびっくりしました』

泰葉『やったね』

千鶴『やった』

60 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:34:39 ID:UIc

ほたる『私より先に2人が鳥取に居るなんて変な気分です』

泰葉『明日から帰省だっけ』

ほたる『はい、明日の朝、飛行機でこっちを出る予定です』

泰葉『じゃあ、あっと言う間だね』

ほたる『はい。空港から直接家に戻って、あとはあまり外出しない予定ですけど』

千鶴『そうなの?』

ほたる『出歩いて、また地元でトラブル起こしたり、嫌がられたりしてもいけないし』

千鶴『そっか』

泰葉『でも確かに、あまり出歩かない方がいいかも知れないね』

ほたる『はい』

泰葉『だってさっき寄ったCDショップ、表にほたるちゃんのおっきなポスター貼ってあったからね』

ほたる『ええええええ』

千鶴『こちらがその写真となります』

ほたる『本当だ!!』

泰葉『白菊ほたるコーナーがあって、谷底のCDが平積みにしてあったよ』

ほたる『そのお店、私がよく通ってたところです』

千鶴『おお、奇遇』

ほたる『もうちょっと行ったところに美味しいお店もあって、家族でよく行ったっけ』

泰葉『あのお店かな』

千鶴『ほたるちゃんのポスター貼ってあるレストラン、あったよね』

ほたる『そうだったら嬉しいです』

千鶴『ほたるちゃん、帰省したら確かめに行ってみたら?』

泰葉『CDやさんにもね』

ほたる『あの』

ほたる『はい』

ほたる『行きます』

泰葉『そうだ、お店の名前、教えてよ。今日のお昼はそのお店にするから』

千鶴『いいね、ほたるちゃんお墨付きの美味しいお店』

ほたる『はい。きっと2人も気に入ると思います』

61 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:37:11 ID:UIc

○夕暮れ
・午前19時05分/小倉へ迎かう列車内

 ……スマホの充電が、そろそろ心許なくなって来ました。

 私はわいわいと楽しく続くLINEのログをいったん閉じて、車窓の方に目をやります。

 窓の外は、夕暮れ。

 そして窓際の席で夕暮れを見つめる、ちょっとおセンチな泰葉ちゃんの横顔。

 鳥取も岡山も、今はもう線路のずっと後ろです。

 いやあ、楽しかった楽しかった。

 時間が過ぎてもLINEを閉じても、鳥取での顛末の楽しさは薄れることなく浮かび上がってくるようでした。

 ほたるちゃんを驚かせて、街を歩いて、ほたるちゃんのお勧めの店でご飯を食べて。

 ついでにほたるちゃんの通学路を、ちょっと歩いてみたりして。

 言い出しっぺの泰葉ちゃんもドッキリを仕掛けられたほたるちゃんも結局とっても楽しそうで、私も終始笑っていて。

 バカな話をいっぱいする一方で、ほたるちゃんの里帰りのドキドキを奪ってしまったかな、なんて心配をしたり、気に病む性分の彼女が里帰りを楽しむ手伝いがちょっとでもできたらよかったな、なんて願ったり。

 決して長い滞在では無かったのですが、私にとっても泰葉ちゃんにとっても鳥取への寄り道は忘れがたい時間となったのです。

 だけどまあ、もちろん楽しい時間には当然代償がついてくるもので。

 今更思い返すに、私たちの間違いは『便があってもそれに乗れるとは限らない』って当たり前の事を忘れていたことに尽きると思います。

 そもそも私たち、里帰りシーズンで切符が取れないからってことで旅券をお世話していただいたんですものね。

 鳥取から岡山に戻る1番早い便は満杯でとても乗れなくて、次を待ったら2時間待ち。

 ならどうするかと相談して、岡山から下関を目指すほうが時間的に早いからってことで次の便を待って岡山に戻ったはいいものの……それでもう、時計は18時を回っていました。

 そこからなんとか小倉に向かう便に飛び乗れば、あとは当然よそ見している余裕もなく移動です。

 予定していた観光がふいになったことは鳥取での楽しさと比べれば気にもならないのですが、予定している門司港のお宿に到着するのがかなり遅れるのは、流石にちょっと申し訳ない話。

 とりあえずお宿に到着するのが何時になるか解らないのでお宿に連絡を入れて平謝りして夕食はキャンセル、待ってもらう約束を取り付けて……あとは泰葉ちゃんと私、ふたりで列車に揺られるばかりとなったわけです。

「なんとか宿に潜り込めそうで、よかったね」

「本当にね」

62 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:37:44 ID:UIc
 夕刻過ぎれば旅の疲れも染みてきて、私たちの会話もなんだかちょっとペースが落ちてきたみたいです。

 だけど、予定より滅茶苦茶遅れる私たちをお宿が快く泊めてくれたのは、本当にありがたいことでした。

「待ってくれなかったら、危なかったよ。最悪どこかのネットカフェで1泊しなくちゃならなかったもん」

「……山陽の観光が結局できなかったし、遅い時間だから、ネットカフェでいいから岡山の近くで1泊して翌日観光もいいかな、とか思ったけど。ほら、幸い着替えはたくさん持ってきたし……」

 ナイスアイデア! って顔の泰葉ちゃん。

 だがしかし、そうは問屋が卸しません。

「その着替えは今朝、宅急便で送っちゃったでしょ」

「ああ、そうだった」

 私の指摘に、泰葉ちゃんはわざとらしく天井を仰ぎます。

 お互い、疲れでちょっと頭が回らなくなって来ているのかも。

 門司港で1泊だけの予定でしたから、私たちの着替えはさして手持ちがありません。

 今日1日歩いて結構汗をかきましたし、もしも予定がずれ込んで泊数が増える事態になったら私たちはたちまち着替えに困ることになったでしょう。

「着替えに余裕があれば、別に遅れてもよかったんだけどなあ」

 窓に視線を向けたまま、泰葉ちゃんがそんなことを言い出します。

「里帰り、しなきゃいけないでしょ」

「そうだけどね。でも……ほら。千鶴ちゃんとの旅、楽しいし」

 窓を見つめたまま。

 私に顔を向けないまま、泰葉ちゃんが言いました。

 楽しかったのは本当です。

 桜見て、美味しいもの食べて、鳥取まで繰り出して。

 そんな『旅の目当て』に入ってない、ちっちゃなたくさんの出来事。

 2人して、どうでもいい話をして。

 鳥取に向かう道中の鮮やかな緑に、山の桜に歓声を上げて。

 足止めを食った鳥取駅で暇を持て余して、わざわざ売店でオセロを買って勝負に興じたり、駅の売店でご当地物のスナック菓子を漁ってみたり。

 ちょうど前の席に座ったおばあちゃんからみかんをもらって、2人で分けて食べたり――

 福岡に帰ったらどうしたらいいか、は結局あんまり纏まってくれなかったけど、そんな他愛もないことが本当に本当に楽しかったのです。

 だから私も、『楽しかった』と頷きそうになりました。

 だけど。

 私との旅が楽しいという泰葉ちゃんの言葉が、ほんのちよっぴり言い訳めいて聞こえるのは、私の思い過ごしでしょうか。

 思い過ごしでないのなら、その言い訳はいったい誰を誤魔化すためのものでしょうか。

63 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:38:04 ID:UIc
 泰葉ちゃんはまだ、私を見ないまま。

 だから、私の視線にこもったそんな疑問も、見ていません。

「そう、楽しかったんだよ」

 私からも、そう呟く泰葉ちゃんの本当の顔は見えません。

「だから、もうちょっと遊びたいなあって思わない?」

 ただ、そう提案する声だけがとても楽しそうで。

「もうちょっと旅を続けて。寄り道して、遊んで。少し帰りが遅れても、もうちょっとゆっくりしたいって、そんな風に思わない? ……最終的に、東京に帰る飛行機に間に合えばいいんだし」

 うん、思う。

 軽い調子の提案に、私は思わず正直に頷きそうになりました。

 だって泰葉ちゃんの言うことは、半分私も思うことでしたから。

 ぶっちゃけ、私の里帰りは本当に個人的な事情の話。

 戻って、どうしたらいいのか。

 どうするのが1番いいのか。

 それすらまだ、固まってないような有様で。

 だから、泰葉ちゃんがいいのなら。

 それでいいんだって言ってくれるなら、行こうと思った気持ちを棚上げして、2人でこのまま遊んで回ってもいいなと……思わないではないのです。

 きっとそれも、楽しい思い出になるでしょう。 

 あの桜みたいに、私たち2人だけの秘密をたくさん作ってくれるでしょう。

 もしかして。

 もしかして今朝、泰葉ちゃんのあの表情を見ていなければ。

 もしかして、泰葉ちゃんが今、こっちを向いて笑っていたら。

 私は泰葉ちゃんに付き合うのもいいなって、素直に頷いてしまったかもしれません。

 だけど泰葉ちゃんは背を向けて、その顔を私に隠したままだったから。

 私はもう、泰葉ちゃんが隠しているかもしれない顔を、知っていたから。

 だから私は見えない泰葉ちゃんの顔のかわりに、この旅のはじまり……2人で旅にでることを決めてからこっち、少しずつ積み重なった疑問を見つめ直しました。

64 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:38:24 ID:UIc
 泰葉ちゃんが見せてくれた旅程に違和感を覚えた……というのが、まず最初の気付きでした。

 そして昨夜、そして今朝見たあの顔が、いくつもの違和感をつないで、輪郭を与えてくれたような気がしました。

 そもそも。

 そもそも、泰葉ちゃんははしゃいで里帰りの予定を話して回るようなタイプだったでしょうか。

 いつも用意周到な泰葉ちゃんが、あの日まで春休みの帰省の用意をしていなかったなんてことがあるでしょうか。

 2日分とはとても思えないあの荷物。私の分の下着まで用意して来た周到さは、本当に旅慣れないからでしょうか。

 鳥取に行こうと言い出したのは、本当にほたるちゃんを脅かすためだったのでしょうか。

 色々な疑問は今朝のあの顔と繋がって、泰葉ちゃんの気持ちを告げてくれていました。

 泰葉ちゃんの気持ちと、私の気持ちは、きっと同じだと思いました。

 ……この旅の始まり、福岡に向かう踏ん切りをつけてくれたのは、泰葉ちゃんでした。

 だったら今度は、私の番。

 いくつも感じた違和感を見てみないふりをするのはやめにして、泰葉ちゃんに踏ん切りをつけてあげる番なのです。

 深呼吸して、はっきり、わかりやすい口調で、指摘します。

「泰葉ちゃん、まだ長崎に帰る踏ん切りがついてないんでしょう」

 沈黙。

 わかりやすく、泰葉ちゃんの背中がこわばっていました。

65 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:38:50 ID:UIc
「……どうしてそう思ったの?」

 ようやく振り返って小首を傾げた泰葉ちゃんの顔が、それまでと違って見えました。

 それは、あの青白い、寂しげな顔でした。

 仮面が外れたんだと、思いました。

 この旅の間泰葉ちゃんがずっと被っていた、無邪気に旅を楽しむ泰葉ちゃんという仮面が。

 そして仮面の下から現れた私の顔色を伺うみたいな表情に、私は自分の考えが正しかったことを知りました。

 だったら、ここから先を告げるのも、私がやらなくちゃいけないことです。

「……旅程がおかしいなって、ずっと思ってたの」

「旅程が?」 

 それは違和感の最初のひとつでした。

「里帰りって、帰って何かをするためのもので、向こうにも予定があるものでしょう? だから本来なら、余裕を持って戻りたいはずじゃない」

 たとえば両親に会ったり、法事や同窓会に出たり。

 里帰りは本来、帰って何かするという予定があるからする物です。

 だから大事なのは、戻った後の時間をいかにして多く取るかということのはず。

「それなのに岡山で新幹線に乗り換えずに、わざわざ倉敷、尾道って刻んで行く予定だったし」

 いえ、観光の旅程としてはすごく楽しかったんですけどね。

「新幹線が取れなかったんだよ。予約取りにくかったの、知ってるでしょ」

 目を泳がせる泰葉ちゃん。

 だけどどっこい、その説明に誤魔化される私ではないのです。

「調べたんだけど、あのサンライズ出雲って列車、倉敷にも停まるじゃない」

「調べたの?」

「ほら私、お出かけの下調べってしっかりする方だから」

「そういえばそうだった」

 わかりやすく頭を抱える泰葉ちゃん。

 そう、まずそこに違和感を感じていたんですよね。

「岡山で足の速い列車に乗り換えられるんじゃないなら、倉敷まで行ってくれる列車をわざわざ岡山で降りるのは不自然じゃない。それ『里帰りのために融通してもらった』旅程としてはどうなのかなって。それに……」

「それに?」

「いくら楽しみにしてるからって、泰葉ちゃんって自分の予定を大喜びで触れ回るってタイプじゃないじゃない。あれ、自分の引っ込みをつかなくする為だったでしょ」

 それは今になって気がついたことでしたが、そこはあえて黙っておきます。

66 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:39:19 ID:UIc
「おっしゃるとおりです」

 降参です、って言うみたいに小さく両手を上げて、泰葉ちゃんが嘆息しました。

「ばれないと思ってたんだけどなあ」

「2人で旅行も楽しもう、って事かとも思ったんだけどね。桜は綺麗でクロックムッシュも美味しくて。実際素敵で楽しい旅行だったもん……でも」

「でも?」

 首を傾げる泰葉ちゃんの目を、私はじっと見つめます。

「でも、わざわざ私の分の着替えまで持って来たし。寄り道して鳥取に行こうとか言い出すし。里帰りなら親御さんの予定もある筈なのに、ぜんぜん旅程が遅れる事を気にしてないみたいな事を言って……まるで」

「……まるで?」

 泰葉ちゃんも、私を見ていました。

 落ち着いた、すこし困ったような目。

 まるで、私がこれから何を言うか解っているような――

 そんな目をのぞき込んだまま、私は感想を口にしました。

「まるで、本当は長崎に着きたくないみたいだよ」

 それに、車窓を見つめるあの顔は、ちっともこの旅が楽しみじゃないみたいだったよ。

 かたん、かたん。

 この旅の間に聞き慣れた線路の音が、なんだかとても大きく聞こえました。

 泰葉ちゃんは、唇を結んだまま、私を見ていました。

 旅行の間いろいろな表情が浮かんでいた顔に、今は何も表情がありません。

 なんだか、どんな表情を作っていいか考えあぐねているみたいな、そんな顔でした。

「……どう、説明したらいいのかなあ」

 困り果てたように泰葉ちゃんがつぶやいたのは、どれぐらい時間が経ってからでしょうか。

「考えて、言葉をまとめて。寝るまでには話すよ。それでいいかな」

「ありがとう」

 泰葉ちゃんの提案に、私は1も2もなく頷きます。

 知らないふりも出来たことをわざわざ指摘してしまったこと。

 楽しいままで終わらせることもできた旅に水をさしてしまったことに、やっぱり少し罪悪感もありました。

 嫌な思いをさせてしまったかも知れないのに、ちゃんと事情を話してくれるというのですから、ありがとう以外に、返せる言葉はありません。

67 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:39:36 ID:UIc



「ちょっと、恥ずかしいんだけどね」

「大丈夫だよ」

 うつむく泰葉ちゃんの手をとって、私は笑いました。

「そのかわり、私も恥ずかしいこと、話すから」

 泰葉ちゃんが長崎に着かなくていいと思う、その理由。

 わざわざ里帰りに誘っておいて辿り着きたがらない、その理由。

 それはきっと私と同じようなもののはず。

 なら、私だけが黙っているのはきっとフェアではありません。

「じゃあ、お互い恥を晒すんだね」

 泰葉ちゃんが目をぱちくりさせました。

「いいじゃない」

 私は、泰葉ちゃんに肩を寄せました。

「あの桜と同じだよ。旅をした私たちだけの思い出ってことで」

「……うん。それならいいね、きっといい」

 泰葉ちゃんの肩の重さが、私の肩に寄り添ってくれました。

 私たちは肩を寄せ合ったまま、黙って夕日の窓を見つめていました。

68 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:39:59 ID:UIc
○千鶴と泰葉、夕闇にうまかっちゃんを買う
・午前22時20分/門司区近く・某ドラッグストア

「いやあ、おなかすいたね」

「自炊できるお宿でほんとによかったよね」

 遠き山にとっくの昔に日は落ちて。

 空きっ腹を抱えた私と泰葉ちゃんは、そんなこと言いながら食品の棚を物色しているのでした。

 なんとか宿に転がり込んだはいいものの、当然夕食が残っているわけはありません。

 折角用意してくれてたご飯を無駄に廃棄させてしまったことを平謝りしても、当然育ち盛りのおなかは黙ってはくれず。

 そしてこの時間では開いてる食べ物屋さんもほとんどなくて……となれば自炊、これしかありません。

「考えてみれば、列車の中で何か食べてもよかったよね」

「えー、泰葉ちゃんドシリアスな顔で、なんか食べようよって言い出せる感じじゃなかったよね」

「ひどーい、私のせい?」

 レモンティーのペットボトルを物色しつつ後知恵を口にする泰葉ちゃんを私が笑いとばして、泰葉ちゃんがおどけた感じで憤慨してみせて。

 お客の少ないドラッグストアに、私たちの笑い声が小さく沸いて、消えていきました。

 私たちはこの旅にでる前から、ユニットの仲間で、仲のいい友達でした。

 だけど東京駅で列車に乗り込んでからのたった1日で、私たちはさらに気安くなったような気がします……というのは、流石にちょっと調子よすぎるでしょうか?

 でも、2人で居ることがよけいに楽しいと感じるようになったのは本当です。

 馴染んできた。

 お互いのツボが解ってきた……というのでしょうか。

 冗談を言い合っても何でもおかしくて。

 相手の興味のありそうなものが以前よりよく解るようになった気がするし、お互い自分の興味を隠さなくなった気がします。

 それはもしかしたら、このあとお互いに恥を晒す覚悟を決めたからだったかもしれません。

「あっ、千鶴ちゃん、ちょっとこれ見て、これ!!」

 驚きを隠さない声。

 泰葉ちゃんが袋麺のコーナーで手招きしています。

「流石にこの時間にインスタントラーメンはまずくない?」

「そんなこといいから。うまかっちゃんだよ」

「え、うまかっちゃん有ると?」

 最初は窘めてた私も、俄然食いついてしまいました。

69 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:40:22 ID:UIc

 黄色い袋のうまかっちゃんは、とんこつ味の袋麺。

 東京では売っていないのですが、九州ではなじみの味なのです。

 土曜のお昼や受験の夜食、私もいろんな場面で食べたことがありました。

 懐かしいなあ。

 美味しいんだよねえ。

 トレーナーさんはいい顔しないかもだけど、ぜったいまとめ買いして帰らなくちゃ。

 絶対どこでも売れると思うのになんで全国販売しないんでしょうね、うまかっちゃん。

 え? ご当地袋麺がある地方の人はみんなそう思ってる? ごもっとも。

「そうか、九州に戻って来たんだねえ」

 ともかく、思わず見るとは思わなかった馴染みの品を見て、しみじみとしてしまう私なのです、が。

「いや、それもそうなんだけど、それじゃなくて……あれ」  

 なんだかシリアスな顔で、泰葉ちゃんが袋麺コーナーの1点を指さしました。

「嘘」

 そこにあるものが信じられなくて、私の声が高くなりました。

 『うまかっちゃん濃厚新味・細カタ麺』

「えーっ、知らないうまかっちゃんだ!!」

「ね! 私も初めて見た!!」

 たかだか1袋百円ちょっとの袋麺を見て、2人そろってこの驚きよう。

 私が上京してくるまではこんなうまかっちゃん、ありませんでした。

 私のいない間に、まさか新味が発売されていたなんて!

 ……以前は生活の一部になってたものが、しばらく見ない間に変化していた驚き。

 誰にも覚えがあることかもしれませんが、それは多分に寂しさを含んでいるものです。

 何故って、きっと、気付いてしまうからでしょう。

 時間は、流れているんだって。

 物事は変わってゆくんだって。

 そして、思い出のままの姿でいつまでも自分を待っていてくれるものは、きっと無くて。

 離れている間に、自分は思い出から取り残されて行ってるんだ……って。

70 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:41:03 ID:UIc
「細麺だって」

「うまかっちゃんはあの麺がいいのに」

「濃厚新味だって」

「麺が違ってスープが違ったら、それもううまかっちゃんじゃなくない?」

 驚き醒めやらぬ泰葉ちゃんのつぶやきに、思わず次々保守的な否定意見を表明してしまう私です。

「うまかっちゃんは、ノーマルが1番美味しいのに」

「確かに」

 言ったところでどうしようもない不平をぶつぶつ言う私に、泰葉ちゃんは苦笑い。

 ですが。

「定着しない新味を次々出さなくてもいいじゃない。そんなことしなくてもいいぐらい売れてるよねうまかっちゃん」

「……それは、逆かな」

 さらに不平を続ける私にそう答える泰葉ちゃんの表情は、そのときひどく大人びて見えました。

 それは、ときどき泰葉ちゃんが見せる顔。

 芸能界でたくさんのものを見てきた、先達としての顔でした。

「……逆?」

「変わらないってことは、衰えてるってのと同じ事だから」

 泰葉ちゃんの答えは、どきりとするような鋭さを秘めています。

 変わらないものはやがて朽ちてゆくのだ。

 私たちも、そんな歌を歌ったことがありました。

「……衰える」

「そう」

 私のつぶやきに頷いて、泰葉ちゃんは新味の袋麺を手に取ります。

71 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:41:26 ID:UIc

「本当に変わらないものはそのうち忘れられて、消えていくの。ずっと生き残っていくのは変わらないように見えても色々な挑戦をして新しいことを取り入れてる物。成長を続けようとするもの。だから盤石な時にこそ挑戦を……あ、ラーメンの話ね」

 最後は笑って、泰葉ちゃんは年相応の顔に戻ります。

 だけど、私の中には泰葉ちゃんの言葉が重く残っていました。

『考えをまとめて、寝るまでには話すよ』

 列車の中で泰葉ちゃんが言ったことを思い出します。

 もしかして今の言葉も、考えをまとめる中で出た言葉ではないのでしょうか。

 泰葉ちゃんの内心に、ずっとあった言葉なのではないでしょうか。

 なんだかおろそかにしてはいけない気がして、私は新味の袋麺をじっと見つめました。

 変わらないものは、衰えてゆく。

 だから、挑戦する。

 新しいものを生み出してゆく。

 そして、成長してゆく。

 失敗しても、うまくいかなくても、そうなのでしょうか。

 それは無為に終わった痛みだけじゃなく、後に繋がる何かを残していたのでしょうか。

 成長していくための、糧になっていくことなのでしょうか。

 ……そしてそれは、私達もそうなのでしょうか。

「……今日の晩ご飯は、この新しいヤツにしない?」

 私はさっきボロクソに言った新味の袋麺を手に、そう提案しました。

 なんだかそれが、今日の私たちにふさわしい食べ物のように思えたのです。

「夜更けにインスタントラーメンなんて、罪の味だなあ」

 泰葉ちゃんが、笑います。

 遅い時間の普段なら絶対しないインスタントのお夕飯も、私たち2人だけの小さな秘密になりそうでした。

72 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:41:51 ID:UIc
:○千鶴と泰葉、恥を晒しあう
・午前22時40分/宿へと向かう道すがら

 インスタント麺、缶詰、甘いジュースにお茶。

 ささやかな言い訳としてコンビニでサラダを買い足して、私たちは宿へと向かいます。

 もうずいぶんな夜なのに、街灯と明るい月のおかげでなんだか不思議と明るくて。

 流石に時間が時間なのでもう道をゆく人影は殆どなくて。

 時々通り過ぎる車の音をのぞけば、とても静か。

 私たちそんな道を、2人肩を並べて歩きます。

 黙ってゆっくり、歩きます。

 宿をお待たせしていますから、本当は急ぐべきなのでしょう。

 だけどそのとき、私は急ぐ気になれませんでした。

 自分の足の少し先を見つめる、静かなまなざし。

 それを見れば、泰葉ちゃんが考えをまとめようとしているのが解ります。

 もしかしたら、泰葉ちゃんがゆっくり歩くのも同じ理由かも知れません。

 私もまた、かさこそ揺れるレジ袋の音を聞きながら、考えを纏めようとしていたからです。

 旅に出る前、裕美ちゃんとほたるちゃんに、心さんに言葉をもらって。

 2人だけで、旅をして。

 おそらく泰葉ちゃんも、私と同じような悩みを抱えているのだと察することが出来て。

 おどけた切っ掛けではあったけど、うまかっちゃんの話を聞いて――

 私の中で、福岡で自分がどうするべきなのか、その答えが形になって来ている気がしたのです。

 今、もう少し、考えたい。

 今なら、考えが形になってくれる気がする。

 そんな私の気持ちを泰葉ちゃんも察してくれて、黙ってゆっくり歩いてくれている。

 そんな気が、したのです。

 私たちは今きっと、同じ事を考えてる。

 私たちは今きっと、お互いの気持ちを察している。

 私はそれが、とても嬉しいと思いました。

「……何から、話したらいいのかなあ」

 泰葉ちゃんが、ぽそっと思いをこぼしました。

 道端に、小さな児童公園が見えたところです。

 私たちは示し合わせるでもなく公園に足を踏み入れました。

 入り口のところの自販機で暖かい缶ジュースを買って、2人並んでベンチに腰掛けて1口飲んで。

 泰葉ちゃんはそうしてようやく、何かを観念したようにゆっくり息をついて。

「恥ずかしい話をするね」

 そうきっぱりきっぱりと、言ったのです。

73 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:42:10 ID:UIc
 私は黙って、頷きました。

 泰葉ちゃんは安心したように少し笑って……そして、ずっと黙っていたことを口にしてくれました。

「8thアニバでさ。ほたるちゃんのご両親が来てくれてたでしょう?」

「来てたね」

 泣き笑いの顔でご両親と抱き合うほたるちゃん。

 その眩しい姿を、思い出します。

「私ね。あれを見て『いいなあ』って思ったんだよ」

 言いながら、泰葉ちゃんもあの場面を思い返しているのでしょうか。

 その目はまるで、眩しいものを見るように細まっています。

「……羨ましかったの?」

「うん」

 泰葉ちゃんがあっさりと頷きます。

「ご両親が来てくれたことが?」

「それもだけど、そうじゃない、かな」

 今度は少し複雑そうな顔。

「私は多分、ほたるちゃんがちゃんとご両親と解り合ってるのが羨ましいんだよ」

「……泰葉ちゃん、ご両親と仲が悪かったっけ」

 泰葉ちゃんのご両親は長崎住まい。

 東京での1人暮らしが長い泰葉ちゃんの口から、ご両親の話題が出ることは滅多にありません。

 どんなに仲がいい家族でも、何年も離れていればお互いが居ない生活が成り立ってゆくもの。

 だから私は、泰葉ちゃんがご両親の話をしないのは、単に今の生活の中にご両親が居ないことが日常になっているだけの事だと思っていました。

 まあそれ以前に、私自身も含めて高校生にもなれば自分の両親の話なんてなかなかしないものではあるのですが……泰葉ちゃんがそうしなかったのは、もしかしてご両親との間に、何か溝があるからなのでしょうか。

74 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:42:41 ID:UIc

「違うからね? 私、両親と不仲だったりしないからね……多分」

 手の中でころころとジュース缶を転がしながら、泰葉ちゃんは少し早口に不仲説を否定します。

 でもその語尾は気弱で。

「……ただね、私、相談しなかったんだ」

 呟く表情は、苦いものでも食べたようで。

「私もう、ずっと長いこと東京で1人暮らしで。1人で仕事してて……なんていうのか色々頑なになってたから。アイドルに転向するとき、両親に何も相談しなかったの。事後承諾」

「……それって」

「そう。ちょっと当てつけっぽかったね」

 後ろめたいことを吐き出すみたいな早口に、息を飲みます。

「もちろん長崎は遠いし、子役時代の私ってちょっと殺人的に忙しかったから。ちょっとやそっとで相談に戻る余裕なんてなかったって言うのも本当だけど……でも、何も言わなかった。何も相談しなかった。1人で決めて、伝えただけ」

 沈黙。

 ……泰葉ちゃんは、頑固なところがある子です。

 大人の間で長く仕事をして、いろいろな事を知っている子です。

 両親から離れて、ずっと1人でやってきた子です。

 その泰葉ちゃんがもう済ませた決断を伝えてきたら、どうでしょう。

 それを覆すことが、他の誰かに出来たでしょうか。

 毎日顔を合わせているなら、たくさん相談を交わしているならともかく、ずっと離れていたならば。

 その決断に異を挟むことが、果たしてご両親に出来たでしょうか。

 ……泰葉ちゃんの顔が、空を仰いでいました。

 視線の先に、空の月。

 大きく欠けた、弧のような月。

 泰葉ちゃんはあの月を見ているのでしょうか。

 それとも私と同じ、今は届かない後悔を見つめているのでしょうか。

「お父さんもお母さんも、何も言わなかった。電話の向こうで『そうか』って頷いただけだったよ」

「……そう」

75 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:43:05 ID:UIc
「でも、思うんだ。あの日のほたるちゃんを見て……ううん、本当はずっと、思ってたんだ」

 泰葉ちゃんが、私を見ました。

 すがりつくみたいな、顔でした。

「本当はお父さんもお母さんも、私に言いたいことがあったんじゃないかなって。私から、聞きたい言葉があったんじゃないかなって」

 ああ。

 それは、それは、私の傷と、同じです。

「私も、言わなきゃいけなかったんじゃないかな。解ってもらわなきゃ、もらおうとしなきゃ……ううん、違う」

 違う、と。

 泰葉ちゃんが首を振ります。

「私も、解って欲しかったんだ。ほたるちゃんとご両親みたいに、解り合いたかったんだ」

 『千鶴。おい、聞いているのか千鶴』

 あの夢で何度も聞いた言葉を、思い出します。

 嫌でたまらなかった、あのひとの顔を思い出します。

 どうせ解ってもらえないからって、どうせ言っても無駄だからって。

 そう決めつけて飲み込んだ、たくさんの言葉を思い出します。

 私はあの言葉を、あのひとに伝えるべきだったのでしょうか。

 あの人の言葉を、聞くべきだったのでしょうか。

「――私ね、外面を繕うの、すごく上手かったんだ」

 泰葉ちゃんが呟きます。

 それは多分私じゃなくて、自分に向けた言葉でした。

「口に出しても仕方ないと思って、悩みも葛藤も話さなかった。大人には、にこにこいい子のふりしてた。それは両親に対してもそうだった」

 『……私の話は、ぜんぜん聞いてくれないくせに』

 自分が夢で呟いた言葉が、一緒に聞こえた気がしました。

 私はあの人に、色々なことを言わなかった。

 壁を作っていた。

 それは、言っても仕方ないと思っていたから。

 どうせ聞いてはもらえないと、諦めてしまっていたから。

 でも、聞いてくれないのが、解ってもらえないのが辛いのは……きっと、解ってほしかったから。

「ずっと忙しくて、帰れなくて。両親に色々な事を話したいとおもうけど、できなくて……両親もずっと、何も言わなくて」

 肩を落とした泰葉ちゃんは、いつもよりずっと小さく見えました。

 訥々と続く言葉はまるで、私自身の傷をなぞるかのようでした。

「ちゃんと話に行かなきゃってずっと思ってるけど……時間が経つにつれて、怖くなっちゃって」

「……怖く?」

 何が怖いのか。

 それはもう、私には解っていると思いました。

76 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:43:31 ID:UIc
「もう、手遅れなんじゃないかって。もう終わった、取り返しのつかない事なんじゃないかって。何を今更って言われるだけなんじゃないか、って……」

「……それで、私と?」

「うん。誰かと一緒に行くことにすれば、逃げられないと思って。話しに行く踏ん切りがつけられると思って」

「色々な人に言いまわったのも」

「そう。自分の逃げ道をふさぐため……なのに、ぜんぜんまだ、踏ん切りがついてなくて、怖くて、どうやって話していいか、纏まってなくて」

 しゅんとしおれる泰葉ちゃん。

「ごめんね。千鶴ちゃんを振り回しちゃって……」 

 長い告白が終わって、彼女は痛々しく口を閉ざします。

 私も、黙りました。

 だけど……

「……ぷっ」

 つい堪えきれずに、吹き出す私。

「笑われてる!?」

 泰葉ちゃんが『一世一代の告白を笑われて傷つきました!!』って顔をしています。

 そりゃそうです、ごめんなさい。

 ああでも、どうしても。

77 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:44:07 ID:UIc

「え、あれっ、どうして笑われてるの? ひどくない?」

「ごめんね、話がおかしかったんじゃないんだよ」

「ならどうして笑うの。千鶴ちゃんだから話したのに」

「私と泰葉ちゃんの悩みが、あんまりそっくりだから」

 笑ったままの私の答えに、泰葉ちゃんはぽかん、と口を半開き。

 あっ、これもしかして、私しか見たことない顔なんじゃないでしょうか。

 ごめんね、訳が分からないよね。

 だけど泰葉ちゃん、私は本当に、そう思ったんだよ。

 だって。

「『どうせ聞いてもらえないから』って見切りをつけて、大事なことを言わなかったのも。今更それをやり直したいって思ってるのも、そのくせ踏ん切りがつかないでくよくよしてるのも――この土壇場でまだどうしていいか解らないのも。そっくりだよ」

「それって……」

「私も、話を聞いてもらうために里帰りをしたかったの」

 それが私の恥ずかしい話。

「前の事務所の人と、喧嘩別れみたいになっててさ。お互いを信じられなくて、喧嘩ばかりして、お互いに棘を刺しあって、傷つけあって……私、それをそのままにしてこっちに来ちゃったの」

「……千鶴ちゃんの前の事務所の話は、聞いたことあるよ」

「お恥ずかしい」

「ううん。私だって、似たようなものだから」

78 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:44:29 ID:UIc
 泰葉ちゃんは子役時代、たくさんの大人の人たちと仕事をしてきました。

 きっと、解り合えない人たちと仕事をすることもたくさんあった事でしょう。

 泰葉ちゃんも私も、それに幻滅していました。

 どうせ解ってもらえないから、どうせ聞いてはもらえないから、泰葉ちゃんは聞き分けよくにこにこ笑うことにした。

 どうせ解ってもらえないから、どうせ聞いてはもらえないから、私は捨て鉢になってすっかりやる気をなくしてしまった。

 私たちの違いは、きっとそれだけ。

 大人たちに理解してもらえなくて、葛藤する。

 もしかしたらこれは、この世界ではよくあることなのかもしれません。

 だけど。

 私は手の中に、実在しないマイクを握りました。

「だけど、それだけじゃなかったのかもしれない、って思ったんだ。信頼しあえない。ぎくしゃくして、傷つけあうばかり……でも本当はそれだけじゃなかったのかもしれないって」

 泰葉ちゃんのまなざしを感じます。

 私はまなざしを、見つめ返します。

「……だから、戻らなきゃいけないんじゃないかって思ったの。会って話さなくちゃいけないことがあるんじゃないかって」

 そして私は、深く深く、溜息をつきました。

 ちょっとわざとらしいぐらい大きく、肩を落として見せました。

「でも、もう一年も経っちゃってるんだよねえ。何を今更って言われてもしょうがないよねえ」

「そうなんだよねえ……」

 頷く泰葉ちゃんの言葉に、ものすごい実感が籠もっています。

「過ぎたことをもう一度って、私たちも虫が良すぎるかも」

 私は思わず、笑いました。

「それは言える」

 泰葉ちゃんも、笑いました。

79 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:44:51 ID:UIc
「これだけ似たような悩みなら、話し合えればよかったのにね」

 泰葉ちゃんが、溜息ひとつ。

「そうだね」

 私もそろって溜息ひとつ。

 お互いそれは、今更言っても仕方ないと解ってること。

 だけど、言わずに居られません。

 だって友達なんだから。

 解っていればお互いきっと、たくさん話し合えることがあったはずだから。

 同じ事で悩んでると知っていれば、力になりたいと思ったはずだから。

「……でも、どうしたらいいのかなあ」

 すっかり冷めたコーヒーをひといきに飲み干して、泰葉ちゃんがぼやきます。

「ずっとほっといて、今更なんて言えばいいんだろう。どうやって解ってもらえばいいんだろう。どうやったらちゃんと、解ってもらえるのかな」

 難しい顔を、していました。

「私たち、どうするのが一番いいんだろうね」

 泰葉ちゃんの呟き。

 それは、私も思っていたこと。

 なんていえばいいんだろう。

 何をすればいいんだろう。

 ごめんなさいして仲直り。

 そんなことがしたいんじゃ、ありません。

 私が受けた傷は、本物で。

 泰葉ちゃんがご両親に本心を言えなくなったのにだって、理由があったことで。

 ただ仲直りができれば大団円なのかと言えば、きっとそんなことはなくて。

 ならどうしいたいのか、どうなりたいのか。

 旅に出る前の私には、それがぜんぜん掴めていなくって……。

 だけど。 

80 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:45:22 ID:UIc

「……当たって砕ければいいんだと思うよ」

 ぽろりと、言葉が出てきました。

 それは、あの時心さんがかけてくれた言葉でした。

 考えて、選んでそう口にしたわけではありません。

 ほたるちゃんたちの言葉やここに至までに感じた様々なこと。

 様々なものが私の代わりに、私の中から言葉を押し出してくれたように思えました。

 駅で『当たって砕けてこい』と言われたときは一体何を言ってるんだと思ったものですが……不思議。

 今はなんだか、その言葉が腑に落ちます。

「流石に、当たってくだけろはないでしょ」

 泰葉ちゃんの眉が寄りました。

「……私もね、ほたるちゃんたちが羨ましかったんだよ」

 私はもうひとつ、恥をさらけ出しました。

「ほたるちゃんのために雨の中に駆け出した人が何人も居て、おかげでほたるちゃんは昔の事務所の先輩と仲直りできた。もう一度手を取り合えた。いいなあ……って」

 でも、それは。

「だけど、泰葉ちゃんと話していて、解った……私は、仲直りできたのが羨ましかったんじゃないんだって」

「どういうこと?」

「私はきっと、結果を恐れずぶつかっていった皆が、羨ましかったんだよ」

81 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:45:40 ID:UIc
 事務所の倒産で、アイドルを辞めざるを得なかった。

 その原因を作ったほたるちゃんが憎い。

 昔の私なら、そんな気持ちは覆せない、と思ったかも知れません。

 喧嘩別れ。

 誤解からの断絶。

 そんなことはいくらでもあることだから。

 だから仕方ないと、ほたるちゃんは悪くないよと、慰めたかもしれません。

 だけど、智絵里ちゃんたちはそんな事を考えずにほたるちゃんの先輩の元に走りました。

 きっと彼女たちは、ほたるちゃんの先輩の気持ちを覆せるかどうかなんて、考えていなかったに違いありません。

 智絵里ちゃんと愛海ちゃんはただ、ほたるちゃんの事を解って欲しくて、走ったのです。

 ほたるちゃんの心には、大きな傷がありました。

 私たちに見えないだけで、今でも彼女の心にはたくさんの傷があって、血をにじませているのでしょう。

 もしも、もしも。

 裕美ちゃんがあの雨の日、そんな傷ついたほたるちゃんに自分の言葉が届くだろうかと少しでも逡巡したら、ほたるちゃんは今、この事務所に居なかったかもしれません。

 だけど、裕美ちゃんは走りました。

 連れ戻せる自信があったわけではなかったはずです。

 ただ、ほたるちゃんが大事だから、走ったのです。

「私も泰葉ちゃんも、きっと同じなんじゃないかと思う。私たちは、ほたるちゃんたちがうまくできたのが羨ましいんじゃない」

 泰葉ちゃんが、私を見ています。

 私も、泰葉ちゃんを見ています。

「以前の私たちが『どうせ無理だから』って避けたようなことに、恐れずにぶつかって行けたのが。大事な瞬間を後回しにせずに走り出せたのが、羨ましかったんだよ」

82 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:46:05 ID:UIc
 私と泰葉ちゃんの悩みは、似ています。

 私と泰葉ちゃんは、似ています。

 傷ついたから、痛い目にあったから。

 解り合えないことを繰り返したから。

 どうせ無理だと、言っても仕方がないと、見切りをつけるのが早くなって。

 だからあの日、大事なことを置きっぱなしにしてしまった。

 そして――そんな事を考えずにぶつかっていく友達が、あんまり眩しいから。

 だから今更、くよくよと過去を悔やんでいるのです。

 以前の自分が避けたことに、ぶつかってみたくなってしまっているのです。

「……ああ、そうかも知れない」

 そうか、そうかと呟いて、泰葉ちゃんは何度も頷きます。

「じゃあ、ぶつかるしかないわけか」

「きっと、そうだよ」

 私は決意を固めようとする泰葉ちゃんの手を握りました。

「うまく行くとか行かないとかじゃない。ただ本気で、伝えたいことを伝えようとすればいいだけなんだ」

 それが私の、答えでした。

 うまく行くように、とか。

 痛みを避けようとか。

 そんなことを考えずに、ただ自分の本当の気持ちをぶつける。

 相手の気持ちを、受け止める。

 それは私たちには出来なかったこと。

 別に、うまく行かせたいわけではないのです。

 ああ、ううん。

 出来たほうがいいに決まってるけど、違います。

 ただ、ちゃんと話したいのです。

 あのとき私が話すべきだったことを。

 あのとき私が、聞くべきだったことを。

 手遅れかもしれないけど、それでもちゃんと、伝え合っておきたいんです。

83 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:46:39 ID:UIc
「うまくいかないかもしれないね」

 なんだかさばさばと、泰葉ちゃんが言いました。

 覚悟が決まった、顔でした。

「それでもいいよ」

 どうしたらいいんだろう、何がしたいんだろう。

 何度もそんなことを考えてくよくよしてたのが嘘みたいに、私の言葉もすっきりしています。

「少なくとも、それで明日に向かっていけるもの」

 振り向いてる間は、前に向かって進めません。

 後ろを見ながら無理に歩けば、きっと手ひどく転ぶでしょう。

 だから、うん。

 ぶつからなくちゃいけません。

 当たってくだけなくちゃいけません。

 そうしなかったら私たちは、これからもずっとずっとあの日の事を振り返り続ける事になると思います。

 きっとあの日が遠い昔になってもずっと、ずっと。

 ……旅に出る前の私なら、きっとこうは思えませんでした。

 今覚悟を決められたのは、誰のおかげでしょう。

 話を聞いてくれた裕美ちゃん、ほたるちゃん。

 今思えば核心をついた処方をくれた、心さん。

 そして、同じ悩みを抱えていた泰葉ちゃんの存在が、私に気付かせてくれました。

 だから……。

 だから、私の言ったことが少しでも泰葉ちゃんの助けになればいいと思います。

 だって、これは2人の旅だから。

 この旅の間の楽しみも、分かち合った悩みも、2人だけの物だから。

 そして、旅なら一緒に目的地にたどり着きたいから。

 いつか2人で、この旅を笑って振り返りたいから。

84 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:46:57 ID:UIc

「……当たって砕けろ。どうなっても本気でぶつかってみようなんて。今更だよねえ」

 確認するように呟いてから、泰葉ちゃんが笑いました。

「くよくよ悩んでいろいろ考えて、結局答えがそれかあ」

「嫌?」

「ううん」

 私のいじわるな問いかけに、晴れ晴れ笑う泰葉ちゃん。

「やってみよう。やってみたい。ほたるちゃんたちに恥ずかしくないように」

「うん」

 私たちは、空の月を見上げました。

 弧のような月は、まるで笑っているよに見えました。



85 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:47:30 ID:UIc


・30分後/門司区の宿

「明日、どうする?」

 ようやく宿に帰って一息ついて。

 鍋にお湯をわかしながら、私は泰葉ちゃんに訪ねました。

 明日は門司港を観光して、太宰府をお参りして。

 それから博多駅に向かう予定です。

 だけど。

「一番早い便で博多駅に行こうよ」

 サラダや缶詰を盛りつけながら、泰葉ちゃんは答えます。

「うん、きっとそう言うと思っていました」

「当たって砕けるなら、勢いつけてぶつかりたいもんね」

「見習いたいなあ」

 決断したあとのこの思い切りは、本当にいつもすごいと思います。

 きっとこの思い切りが泰葉ちゃんのこれまでを支えてきたんだろうなあ……なんてことを思うまもなく、細い麺があっという間に茹で上がりました。

 スープを解いて、調味油を入れて、丼に取り分けて……。

「いただきます」

「いただきます」

 2人で手を合わせて、ずるずる麺をすすります。

「どう?」

「これは、うまかちゃんじゃないと思う」

 泰葉ちゃんの問いに、私は難しい顔で言いました。

 麺もスープも感じが違って、これは私たちが慣れ親しんだうまかっちゃんの味とは違うものです。

 だけど。

「だけど、おいしい。思っていたものとは違うけど、美味しい」

「私もそう思う」

 望んだものではないけれど。

 欲しい結果とは、違っているかもしれないけど。

 それでも新味は美味しくて。

 そしてきっと、これも未来に繋がる挑戦で。

 私は、私たちは。

 なんだかそれに励まされるような気持ちで、2人で笑ってインスタントラーメンを食べたのでした。

86 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:48:32 ID:UIc
○終章・昨日と明日をつなぐ旅
・翌午前6時45分/博多駅ホーム 

「今更だけど。私も、ついて行こうか?」

 朝一番の列車に飛び乗って到着した博多駅のホーム。

 私は泰葉ちゃんにそう提案しました。

 だって泰葉ちゃんはここから1人で長崎に向かうのです。

 1人で、両親が待つ長崎に向かわなくてはいけないのです。

 心配です。

 ちょっとは助けになりたいです。

 だから。

「ずっと2人で来たんだもん。時間には余裕があるから、一緒に長崎まで行って、それから私が引き返せば」

「いいよ、いいよ」

 泰葉ちゃんが、笑いました。

「子供じゃないんだから、1人で行けるって」

「本当に?」

 我ながら心配性だとは思いますが、当たってぶつかれとけしかけたのは私ですし、泰葉ちゃんのプレッシャーはよく解りますから、心配です。

「うん、本当……あ、でも、やって欲しいことはあるかな」

「何? なんでもするよ!!」

「えー、今何でもするって言った?」

 私の勢いがおかしかったのか、泰葉ちゃんはけらけら笑って……それからまっすぐ、私を見つめました。

「じゃあ、ちゃんと出来るように、祈っててくれる?」

「ちゃんと? ……うまくいくように、ってこと?」

 首を傾げて、問い返えします。

 泰葉ちゃんは違う、と首を振りました。

「ちゃんと全部でぶつかれるように。うまく行くとしても、行かないとしても」

 すっきりと、迷いのない顔でした。

「解った。祈ってるね」

 だから私は、頷きます。

「ちゃんとぶつかれるように……あとやっぱり、泰葉ちゃんにとっていい結果になりますようにって」

「……ありがと」

 それは、この日最後に見た泰葉ちゃんの顔でした。

 優しいやさしい、笑顔でした。

 きっと大丈夫に違いない。

 そう思わせてくれるような、顔でした。

 そして。

 発車のベルが、鳴りました。

87 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:49:06 ID:UIc
「行ってきます」

「……行ってきます」

 向き合って立つ泰葉ちゃんと私は、ほんの1メートルと離れていません。

 だけど泰葉ちゃんは列車の中に。

 私はホームに、立っています。

 あとほんのわずか時間が過ぎれば、2人の距離は走っても追いつけないほど開いてゆくでしょう。

 これから始まるお互いの挑戦、その結果を、私たちは知ることが出来ません。

 私たちはこれから、過去のやり残しに取り組みます。

 うまく行くとは、限りません。

 ひどく傷つくかもしれません。

 だけどどんな結果になったとしても、むなしく砕けたとしても。

 私たちは、それを明日への糧に変えていけるでしょう。

 もう片方がそうできるよう、力の限りを尽くすでしょう。

 だって私たちは、旅の道連れなんですから。

 誰にも言えなかったものを、分かち合った仲なんですから。

 だから、私たちは笑いあいました。

 お互いに思い残しなくやれるように。
 
 そして――願わくば、少しの幸運があるように。

 そんな思いを込めて、笑ったのです。

 ドアが閉まってベルがやんで、列車はゆっくり動き出します。

 私たちはお互いが見えなくなるまで、じっと目を合わせていました。

 ほんのわずかの間に、お互いの姿は見えなくなりました。

 列車は駅を離れ、一路長崎へと向かうのです。

88 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:49:30 ID:UIc
「……さてと」

 私はぎゅっと気合いを入れて、胸を張りました。

 スマホを取り出して、電話帳を呼び出します。

 あのプロデューサーさんの電話番号が、消えずにそこにあることを確認します。

 まず、あの事務所、懐かしいあの場所を見に行こう。

 それから電話して、予定を聞いて、あの人に会おう。

 どんなことを言われても、会って話そう。

 どんな結果になるとしても、解り合うためにすべてを話そう。

 それがきっと、あの日の私が、本当にしたかったことのはずだから――

「――あれっ?」

 スマホが震え出しました。

 LINEに着信があるみたいでした。

 誰からだろうと開いてみて、私はぷっと吹き出しました。

 『健闘を祈る』

 たったそれだけの短い文章。

 差出人は泰葉ちゃん。

「祈ってくれって言われたのに、先に祈られちゃったかあ」

 泰葉ちゃんが、祈ってくれている。

 私と泰葉ちゃんは、きっと一緒に、旅の仕上げに向かっている。

 顔の内側から、笑顔があふれて出そうになりました。

 『一緒に居るよ』

 色々言いたいことはあった気がしますが、実際にできた返信はたったそれだけでした。

 何を書いても蛇足になるような気がしたのです。

 この返信を見て、泰葉ちゃんはどんな顔をするでしょう。

 私が泰葉ちゃんの激励を見たときのように、笑ってくれるでしょうか。

 少しは励まされてくれるでしょうか。

 そうだったらいいなと、思います。

 ――私は今度こそ、まだ人影の少ない町へと歩き出しました。

 昨日と明日をつなぐ、そのために。

 朝の町は日差しに輝いて、今日が素敵な1日になると教えてくれているようでした――。


(おしまい)

89 : ◆cgcCmk1QIM 20/05/11(月)18:49:56 ID:UIc
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



おーぷん2ちゃんねるに投稿されたスレッドの紹介です

元スレ: 【モバマス】昨日と明日をつなぐ旅【松尾千鶴/岡崎泰葉】
http://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1589186011/


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