2 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 19:44:33.23 ID:
TMPHh8lf0
キッチンからエプロン姿でやって来た、ママの手にはお玉が握られていました。
多分、お夕飯を作っている途中だったのでしょう。
「あのね、今日のご飯なんだけど、今日はいつもよりもちょっと豪華な――」
「ママ」
ニコニコと喋り始めたママの言葉を遮ると、私は靴を脱ぎながら言いました。
「私、今から遊びに行く約束してるの。宿題は、帰ってからでもいいよね?」
じっと見上げたママの顔が、一瞬だけ、ニコニコ笑顔から困ったような顔になる。
だけど、すぐに元の笑顔に戻ると、
「そう……だね」
考え込もむような、フリをする。
でも、私にはママの次の言葉なんて、手に取るようにわかります。
「いいよ。むーちゃん、ママと違ってしっかりしてるし。お勉強は、帰ってからでも」
「……ランドセル置いたら、行ってきます」
「うん……お家に帰る時間は、大丈夫?」
「もう私、五年生だよ? いつまでも、小さいままじゃないんだから……」
「あっ、そ、そうだね」
私は、「ごめんね」と謝るママの横を通り過ぎると、
そのまま階段を上って、二階にある自分の部屋にやって来ました。
3 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 19:46:47.11 ID:
TMPHh8lf0
学習机の上にランドセルを置くと、ふと部屋に置かれた、姿見に映った自分と目が合います。
「むぅ……」
……私は、ママが小さい頃にそっくりだと、よく言われて来ました。
おじいちゃんや、おばあちゃんからもですし、
その時に見せてもらった子供の頃のママの写真には、確かに自分そっくりの子が写っていて。
「でも……私はママと、違うから」
そう――私は、ママとは違うんです。
ママが恥ずかしがるからと、パパにこっそり見せてもらった写真に写っていたママは、
大人のクセにとってもくしゃくしゃの泣き顔で。
「この写真は、パパが一番大事にしている、とっておきのママを写した写真です」
そう言って、パパは私の写真と一緒に、ママのその写真をいつも持ち歩いていたみたいです。
……でも、とっておきの写真が、そんな泣いているところの写真だなんて、と。
それ以来私は、カメラの前では絶対に泣かないようにしようと決めました。
だって、泣いているところをカメラに撮られてしまうと、パパはママの分と同じように、
私の泣き顔写真を持ち歩いてしまいそうだったから。
きっとパパは、それらの写真をお守り代わりにでもしてたんでしょうけど……
そんなみっともない写真を、宝物みたいに扱われるなんて……そんなの、私は嫌だと思ってました。
4 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 19:48:13.37 ID:
TMPHh8lf0
===
遊びに行くための荷物を持って玄関を出ると、私は、家の近くにある公園へ。
中には、噴水や花壇の他に、ブランコやジャングルジムなんかの遊具がいくつかあって。
最近では、こうした昔ながらの公園は、中々に珍しいらしいです。
言われてみれば、この公園の砂場は、ただ囲いの中にサラサラとした砂が敷いてあるだけですし、
学校みたいに、ウサちゃんロボが定期的なお掃除をしに来るわけでもありません。
(完全な余談ですが、私はお掃除道具片手に町内を徘徊する、あのウサウサ集団が少し好きです)
それにブランコや滑り台なんかも、
昔の様子を再現したドラマや漫画に出てくるような、古い形の物ばかり。
5 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 19:49:58.12 ID:
TMPHh8lf0
「あっ、むーちゃんやっと来た!」
私が、そんな公園の入り口に姿を見せると、既にやって来ていた、
見知った顔の女の子がそう言って、私においでおいでと手招きしました。
「やっと来た、じゃないですよ。ミヨちゃんの来るのが、早すぎるんです」
「そうかな? 私、普通に家に帰って、そのまま出て来ただけだけど」
「私のお家より、ミヨちゃんのお家の方が、この公園に近いじゃないですか」
「ああ、そう言えば」
じとっとした目でそう言うと、ミヨちゃん――私の、幼馴染の女の子です――は、悪びれた様子もなく頭に手をやって、
「確かに! 私のマンション、この公園からすぐ近くだもんね!
そりゃ、うーちゃんより着くのが早くなるはずだ!」
ケラケラと、声を上げて笑い出しました。
その笑顔は、うちのママなんかよりも、よっぽど笑顔らしいと思えて……
私は、同じ笑顔なら、ママよりもミヨちゃんの笑顔の方が、好きだな……なんて、思ったりします。
6 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 19:51:22.13 ID:
TMPHh8lf0
「ところで、リツ君はまだ来てないんですか?」
「そーなんだよねー、今日こそ絶対に勝ってやる! なんて言ってたのに」
ミヨちゃんはそう言うと、額に手をかざして、公園の中をキョロキョロ。
「やっぱり、無理だったんだよ。私より先に、この公園に来るなんて!」
「今日で、何敗目でしたっけ?」
「さぁ……いちいち数えてないけどさ。多分、十回は超えてるんじゃない?」
「そんなに負けてねぇよ! 何勝手なこと言ってやがる!」
すると私たちのいるベンチの近く。
いくつも穴の開いた、ドームみたいになっている遊具の中から、
リツ君がその顔をひょっこりと出したんです。
「り、リツ君!」
「あんた、いつからいたの!?」
驚く私たちに向かって、リツ君は――彼も、ミヨちゃんと同じ、私の幼馴染です――
「今日は、宣言通り俺の方がココに来るのは早かったぜ」と言って、どうだと言わんばかりに胸を張りました。
8 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 19:53:21.42 ID:
TMPHh8lf0
「へへっ、お前らの驚く顔が見たくってさ、こっそり隠れてたんだ! ……参ったか!」
……何が、参ったのでしょうか?
不思議に思って首を捻る私とは違い、
ミヨちゃんが、リツ君の背中を指さして言いました。
「ああっ! リツ、あんたランドセルしょったまま……もしや、家に寄らずに来たな!」
「そ、そうだけど……文句は言わせないぞ? 正攻法じゃ、ミヨより家の遠い俺は勝てないからな!」
「そんなのズルい!」
「ズルくない!」
「だったら私だって、家に帰る途中でこの公園の中横切るもん!」
「それは帰り道だろ! ノーカンだよ!」
ミヨちゃんもリツ君も、お互いに両手を大きく振り上げたり、振り下ろしたり。
体全体を使って自分の意見を通そうと必死に主張します。
9 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 19:54:31.85 ID:
TMPHh8lf0
「帰り道がダメなら、あんただってやっぱりダメじゃない! そんな、ランドセルなんてしょっちゃって!」
「俺のは、家が遠いってハンデだからいーんだよっ!」
「何よ! だったら私のが年上なんだから、年上の言うこと聞きなさいよ!」
「汚ねぇぞ! またそうやって、すぐ年上だってことを武器にするっ!」
すると、分が悪いと思ったのか、
リツ君が私の方を指さして言いました。
「だったら! むつ姉に決めてもらおうぜ? 三人の中で、一番年が上なんだから!」
「え、ええっ! 私ですかっ!?」
「年上ったって、私より誕生日が先ってだけじゃん」
「それでも、年上は年上だろ? ほら、早く!」
ミヨちゃんとリツ君。二人に「さぁ、どっち?」と決断を迫られる。
……あぅ、これは、いつものパターンです。
10 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 19:55:49.56 ID:
TMPHh8lf0
「わ、私としては……そのぉ……」
「勿論、親友の私だよね!」
「いいや違うね! 俺の方だよ!」
「ふ、二人とも、今回はフェアな条件じゃなかったということで……引き分けじゃ……ダメ、かな?」
言い終わり、ちらりと視線を上げると、
二人はとっても難しい顔で私のことを見てました。
……あぁ、これは上手く、おさめられなかったかな……なんて思っていると、
「まぁ、むーちゃんがそういうなら、仕方ないね」
「確かに俺も……ちょっと強引だったかな」
お互いに顔を見合わせて、自分たちの悪かったところを認め合う二人。
私がぽかんとして見ていると、リツ君は照れ臭そうに頬を掻きながら、
「それに、あんまり卑怯な手を使ってたら、母ちゃんに怒られる」なんて言うんです。
「あっ、その手があった……リツのお母さん、怒るとおっかないもんね」
「な、なんだよ。そのニヤニヤ笑い……」
「べっつにー? ただ、今日のことを教えてあげたら、リツがどうなっちゃうのかなー、なんてこと、考えただけだよ」
「や、止めろよな、そういうの! ……この前みたいに、また休みの日に店の手伝いさせられちまう……!」
リツ君がそう言って、本当に嫌そうな顔をしたものですから。
その何とも言えない顔が面白くって、思わず私とミヨちゃんは、
二人揃って顔を見合わせると、そのまま笑い出してしまいました。
11 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 19:57:12.39 ID:
TMPHh8lf0
===
2.
とにもかくにも、三人が揃ったということで。
私たちは公園を出ると、目的の場所に向かって街の中をテクテクと歩き出しました。
途中、ミヨちゃんがポケットの中から、ケースに入った眼鏡型端末機を取り出して、
「それで――二人とも、アレはちゃんと持って来た?」 ……と、並んで歩く私たちに聞いて来たので、
「はい。ちゃんとこの鞄の中に」
「勿論だよ! 今日こそ俺が、アイツを参ったって言わせて見せるぜ!」
私は手に持っていた鞄を掲げ、リツ君も元気よく答えると、
背負っていたランドセルの中から、ミヨちゃんとは色違いの眼鏡を取り出しました。
12 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 19:58:19.13 ID:
TMPHh8lf0
「あんた、学校に眼鏡持ってってたの?」
するとミヨちゃんが、顔をしかめ、問い詰めるようにリツ君を見ます。
「なに言ってんだよ。むしろ学校に眼鏡を持ってきてない、ミヨの方がおかしいっての」
「だって、ウチはお母さんがダメって言うんだもん。眼鏡なんて、外遊びにはいりませんー、なんて」
「一応、校則でも禁止されてますもんね」
「なに? ……ってことは、むつ姉も学校に眼鏡持ってきてないんだ」
「実は……そうなんです」
「はぇー……おっくれてるーっ!」
信じられないといった顔で驚くリツ君に、ミヨちゃんが言います。
「なーにが遅れてる、よ! 生意気言って!」
「なんだよ。遅れてるヤツのこと遅れてるって言って、何が悪いんだよ」
「別に……その程度でいちいち怒ったりするほど、私も子供じゃないし、好きに言えばいいけど」
けれど、つんと澄ました顔でそう言ったミヨちゃんが、
次の瞬間、とっても暗い表情になって言いました。
13 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:00:04.70 ID:
TMPHh8lf0
「ただ……リツは眼鏡の噂、知らないんだなぁ、と思ってさ」
「め、眼鏡の噂?」
「な、なんです? それ……?」
急に怖い話をするような雰囲気で喋り始めたミヨちゃんに、
並んで歩く私たちも、少し、ドキドキしながら聞き返しました。
するとミヨちゃんは、顔も上げずにゆっくりと、小さな声で、その噂について話し出したのです。
「それが……目も悪くない子が、普段から眼鏡で遊んでばっかりいると……」
「あ、遊んでばっかいると?」
「何処からともなく、声が聞こえて来るようになるんだって」
「こ、声が……ですか?」
「そう……何処からともなく、女の人の声でね」
ミヨちゃんが、そこでピタリと立ち止まってしまったので、私とリツ君も、同じように立ち止まる。
するとミヨちゃんは、今度はまるでお化けの真似をするみたいに、両手をプラプラさせながら言うんです。
14 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:01:27.91 ID:
TMPHh8lf0
「何処からともなく……『まぁまぁ眼鏡どうぞ』……『まぁまぁ眼鏡どうぞ』……って」
「め、眼鏡どうぞ?」
「も、もしその声に答えると……ど、どうなっちゃうんです?」
ビクビクと怯えながら私がそう聞くと、
次の瞬間にミヨちゃんは、持っていた眼鏡をケースの中から取り出して、
「それはね、むーちゃん……こーなっちゃうんだよおぉっ!!」
そう大声で叫びながら、話を聞いていた私の顔に、勢いよく眼鏡を掛けたんです!
だから私も、思わず「ひゃああぁっ!!?」なんて声を上げちゃって、
「謎の声に答えると、こんな風に眼鏡を掛けられて、
一生眼鏡をつけたまま過ごさなくちゃならなくなるんだよっ!」
「あ、あう、あうぅ……!」
「ちなみに要りませんって断っても、無理やり掛けられるらしいよ? 眼鏡」
「きゅ、急に大きな声を出さないでくださいぃ!
び、びっくりしちゃったじゃないですかぁ!!」
余りの驚きに、その場にへたり込んでしまった私を見下ろしながら、
ミヨちゃんが両腕を組んで、うんうんと頷きます。
15 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:03:12.98 ID:
TMPHh8lf0
「――だから、眼鏡は学校に持ち込まない! 外遊びにも使わない!
寝る時もお風呂の時も、眼鏡をかけたままになりたくなかったら……私の偉大なるマザーから聞いた話は、これでお終い」
けれど、一緒に話を聞いていたリツ君は、最初こそビックリしたような顔をしていたのに、
「な、なぁんだ。それって、『眼鏡の上条さん』じゃねぇか」
今度はキョトンと、表紙抜けたような様子で、ミヨちゃんにそう言い返したんです。
「なに? リツも上条さんの噂、知ってたの?」
「か、上条さんの噂って言うんですか? 私は、初めて聞いたんですけど」
地面から立ち上がり、ぱっぱっとお尻の汚れを払いながら尋ねると、リツ君が、片手を広げて答えます。
「うん。話の大筋はミヨみたいに、何処からともなく女の人の声が聞こえて来るってヤツだけど」
「だけど……違うの?」
「上条さんってのは、そんな悪霊みたいなのじゃなくてさ。
むしろまだ眼鏡を持ってない子に、タダで眼鏡を配って回る、サンタクロースみたいな人だって聞いたけどな」
17 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:04:26.10 ID:
TMPHh8lf0
今度は、私とミヨちゃんがキョトンとする番です。
「それ、誰から聞いた噂なんですか?」
「ウチのオヤジ。クリスマスの日にこの眼鏡を貰った時に、お前のところには上条さんが来たんだなぁって」
「え、えぇーっ? だったら、私のお母さんが言ってた上条さんは、どうなっちゃうの?」
「それは……単にミヨの母さんがさ、ミヨに眼鏡でばっか遊ばないようにって、嘘ついたんじゃねぇか?」
ミヨちゃんに説明を求められたリツ君が、困ったようにそう返すと、
ミヨちゃんは私の顔に掛かったままの眼鏡を見つめて言いました。
「……そういえば、私の眼鏡もクリスマスプレゼントだった」
「あの、実は……私の持ってる眼鏡もです」
「まさか、むーちゃんのも私のも、上条さんからのプレゼント?」
そこまで言ってから、見つめ合う私とミヨちゃん。
すると耳元で、「まぁまぁ眼鏡どうぞ」と、聞いたことのない女性の声がするような――
そんな感覚を味わって、私たちは揃ってぶるると、寒くもないのに肩を震わせたのでした。
18 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:05:46.64 ID:
TMPHh8lf0
……そんな風に、謎の上条さんについての噂話で盛り上がりながら歩いていると、
いつの間にか私たち三人は、当初の目的地へとやって来ていて。
「今日もいるかな?」
「いるんじゃね? むしろアイツが、外出歩いてるのなんて見たことねぇよ」
「あっ、私は見ますよ。たまにですけど、お買い物袋を提げて歩いてるのを」
そこは、二階建てのアパートの一部屋。
ウサギのイラストの入った可愛らしい表札の横にある、
古めかしいインターホンを、ピンポンと一押しすると、
「……出ないね?」
「お留守でしょうか?」
「いやいや、居留守かも」
……待つこと数分。
うんともすんとも言わない扉の前で、ひそひそと囁き合う私達。
19 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:07:16.74 ID:
TMPHh8lf0
「……よし! 仕方がないなぁ」
するとミヨちゃんが、玄関脇に置かれていた牛乳受けを手でずらし、
「――おっとー? こんなところに、宇宙船の鍵はっけーん!」
「白々しいな、おい」
「いいじゃんいいじゃん。菜々さんだって、
私たちなら勝手に入って待ってても良いよって、この前言ってくれてたし」
人参のキーホルダーがついた小さな鍵を、玄関の鍵穴へと差し込みます。
そうして、ガチャリと鍵の開く音を確認してから、ミヨちゃんはドアノブに手をやると、
「……おや?」
「どうしました?」
「何かね……コレ回んない」
ガチャガチャと、何度かノブを回してみるミヨちゃん。
けれどドアノブは僅かに動くだけで、
まるで誰かに押さえつけられているかのようにびくともしません。
20 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:09:29.04 ID:
TMPHh8lf0
「こりゃあれだね。居るね、中に」
「よし、だったら俺も手伝おう」
「な、なら、私は二人を応援します!」
着ていたパーカーの袖をまくって、リツ君がミヨちゃんを手伝い始めます。
その様子を、私も二人の後ろから、固唾を飲んで見守って。
「んぐぐぐぅ……!!」
「ふぬぬぬぬ……っ!!」
すると、扉の向こう側からも、微かに聞こえる苦しそうな声。
それから急に、二人が「うわぁっ!」と声を上げたかとおもうと、
いきなり後ろに立つ私に向かって、勢いよく倒れ込んで来たんです!
「あ、痛たたた……!」
「お、重い……! ミヨ、お前重てぇよ!」
「じょ、女子に向かって重たいとかいうな! 失礼でしょ!」
「な、何でもいいから……早く、早くどいて下さいぃ……!」
外開きのアパートの扉は、二人に引っ張られるようにして開け放たれて、
よろよろと立ち上がった私達と一緒に、ゆっくりと起き上がる人が一人。
「まったく……菜々さんめ。こんな子供にまで合鍵の場所を教えるなんて……防犯意識無さすぎだって」
小学生の私たちと殆ど変わらない見た目をしたその人は、
そう言って私たちの顔を見回すと、不機嫌そうに口に入っていた飴玉を噛み砕いたのでした。
21 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:11:21.57 ID:
TMPHh8lf0
===
「あの、じゃあお邪魔しますね」
「お邪魔するならさぁ、早めに帰って良いからねぇ」
「なら、お世話になりまーす」
「こっちにはお世話する気がないから、適当にお寛ぎくださーい」
「よいしょっと」
「おい待てそこの。せめて人の家に上がる時は、前二人みたいに何か言うのが礼儀でしょ?」
私たちより後に玄関を上がろうとしたリツ君を、
そう言って、先ほどの人――杏さんが呼び止めました。
だけどリツ君は、口を尖らせるようにして
「だって杏姉ちゃん、何言ったって文句しか言わねぇもん」なんて。
すると杏さんは、わざとらしく首を振りながら、「はぁー」と深くため息をつくと、
「最近の小学生は、親しき中にも礼儀ありって言葉を知らないのかな?」
そう言って、リツ君を指さしながら注意しました。
けど、リツ君もリツ君で、「うん、知らねー」だなんて、しれっとした顔で返すんです。
22 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:12:26.65 ID:
TMPHh8lf0
「こ、このガキ……! まったく、こんな風に生意気に育てた、親の顔が見てみたいよ……」
「見たいなら、ウチ来ればいいじゃん。俺の母ちゃん、いつでもいるぜ?」
「……やっぱりやめとく。どうせ会っても碌なこと言われないだろうし、それになにより面倒くさいし」
すると杏さんは、ニタリと不敵に笑ってそう言うと、部屋の奥へと歩いて行きます。
……この二人のやり取りを、私はここに遊びに来るたびに、
いつリツ君が杏さんに怒られるんじゃないかって、ハラハラしながら見守ってるのですが。
「ちぇー、なんだー。今日も杏ちゃん、怒らなかったかー」
隣で一緒に見守っていたミヨちゃんは、
そんな二人のやり取りをどうやら面白がり、ここに来た時の楽しみにしているようでした。
23 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:14:36.63 ID:
TMPHh8lf0
「ほんじゃ、好きなように遊びなよ。
机の上にはいつもみたいに、菜々さんがお菓子も用意してくれてるよ」
「やった! 今日のお菓子ラインナップ、私の好きなやつー!」
「さっすがは、俺たちのウサミン星だぜっ!」
杏さんの後について行くようにして、私達三人が畳敷きの部屋にやって来ると、
杏さんはこれまたいつも通りに部屋の隅に鎮座する、使い古された大きなウサギのソファに座り込みました。
「それでー……今日は誰が、私と勝負するのかな?」
そうしてゴソゴソと取り出した眼鏡を掛けながら、お菓子の山を物色する私たちに声をかけます。
「へへっ! じゃあ、まずは俺からだ!」
リツ君が、威勢よく答えて立ち上がりました。その顔には、先ほどの眼鏡型端末機。
「レートは?」
「一試合で飴三つ! 今日こそ今まで負けた分、倍にして返してやるっ!」
「グッド!」
二人の間の畳の上に、それぞれが三つずつ取り出した、
合計六個の飴玉が、コロコロと並べられました。
それから二人が眼鏡のヒンジ部分に指をやると、杏さんとリツ君の前に、
眼鏡のレンズを通して見ることのできる、ホログラフィの『ぷちデレラ』が現れて。
「それじゃあ、ライブバトルを始めようか……!」
「望むところだぁっ!」
小さなアパートの一室は今まさに、手に汗握り、
小さなぷちデレラ達が歌って踊って競い合う、バーチャルライブ会場になったのです。
24 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:16:38.89 ID:
TMPHh8lf0
===
3.
「それで……今日は皆さん、どれくらい杏ちゃんに絞られたんです?」
……私達がウサミン星と呼ぶ、この秘密基地。
その主でもある菜々さんが帰って来たのは、私とミヨちゃん、
そしてリツ君合計で、三十個以上の飴を杏さんに対して支払ってから。
「いやぁ、若いってのはいいねえ。向こう見ずで、すーぐ熱くなるからさ。杏も、カモにしやすくってしやすくって」
「何言ってるんですか杏ちゃん。いい歳して、小学生相手に大人げない」
「これでもハンデはあげてるんだよ? 私はほら、相手のレベルに合わせたメンバーしか使ってないし」
「そうじゃなくて、ナナは子供相手にそこまで本気にならなくてもってことをですね」
「菜々さんは、杏に接待プレイをしろって言うの? そんな台詞、紗南が聞いたら怒るよぉ~?」
「ゲームで負かした小学生に、肩を揉ませている大人の言うことですかっ!」
そう言って私達を見下ろしていた菜々さんは、呆れたように腰に手をやりました。
その前には、ウサギのソファに座る杏さんと、彼女の肩を揉まされているリツ君。
それから、杏さんの左右に座り、同じように彼女の足をマッサージする私とミヨちゃん。
まるで王様と、その召使いのような図を見て、菜々さんが困ったように首を振ります。
25 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:18:40.41 ID:
TMPHh8lf0
「いやいやいやこれはね? この子達がさ、自主的にやってくれてることなんだよ」
「よく言いますよ。ナナだって知ってるんですからね? チップ代わりに巻き上げた、飴玉の数に応じて……」
「だって遊びに負けた方にはさ、普通罰ゲームが待ってるもんじゃん。
だからこれは、この子達の罰ゲーム罰ゲーム……決して強制的な労働なんかじゃ、ないんだなぁ」
「……もう、杏ちゃんったら! 杏ちゃんが小学生相手にこんなことをしてるなんて、もしきらりちゃんが聞いたら、なんて言うか」
だけど菜々さんの口から、「きらり」という単語が出た途端、杏さんは目に見えてうろたえだして。
「えっ? ……えっ!? き、きらりが来てるの? この近所……近くに?」
「買い物帰りに、たまたま会ったんですよ。向こうはまだ、お仕事中みたいでしたけど。
……だけどこんなことなら、少しぐらい、顔を出してもらうんでしたねぇ」
そうして菜々さんが、杏さんに向けてスマートフォンを構えます。
するとミヨちゃんが、マッサージしていた手を止めて、コソコソと私に耳打ちしました。
27 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:20:13.37 ID:
TMPHh8lf0
「ねぇねぇむーちゃん。菜々さんってさ、まだスマホ使ってるんだね!」
「聞こえてますよ! ミヨちゃん!」
「分かった! 分かったから写真を送るのは止めて! ほら、三人とももうマッサージはいいから!」
慌てたように杏さんが解散命令を出したことで、ようやくこの重労働から解放される私たち。
「俺、オヤジの肩でもこんなに揉んだことねぇよ」
手をプラプラさせながらそう言うリツ君の顔は、とってもヘロヘロ。どうやら、よっぽど堪えたようです。
「さぁさぁ、皆さん。暴君から解放されたところで、ジュースなんてどうですか?
労働の後の一杯は、そりゃあもう、格別なんですから!」
するとそんな私たちを元気づけるよう、菜々さんが明るい声で言いながら、
冷蔵庫から冷えたジュースを持って来てくれます。
そんな菜々さんの姿を見て、「菜々さんの言い方だと、泡の出るジュースが出てきそうだね」なんて言うのは、杏さん。
28 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:21:22.34 ID:
TMPHh8lf0
「フフン。昔の私ならばいざ知らず、クラスチェンジして永遠の二十三歳となった菜々はですね、
今なら誰の目も気にせずに、お酒だって嗜められるんですよっ!」
「菜々さん、二十三歳なんですか?」
「ええー? ウチのお母さんより断然若ーい!」
「でもよぉ、菜々さんって、俺たちの母ちゃんの同期なんだろ? だったら――」
「あ、あっ! いえね? 二十三歳と言っても、菜々のは、ウサミン星基準の数え年でですね……!」
「……歳はとっても菜々さん、こういうところは変わってないなぁ」
それから、また数十分程たった頃。
机の上には菜々さんが買って来た、ケーキが入っていた箱が一つ。
「ふぅ……美味しかった」
「満足だよ……満足……」
「そうですか? お口に合ったようで、なによりです」
丸まったお腹を撫でながら転がるミヨちゃんとリツ君を、
机の上の食器を片付けながら、優しい笑顔で眺める菜々さんは、まるでおばあちゃんみたい。
29 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:24:23.82 ID:
TMPHh8lf0
とはいえ私も、今はお腹一杯になったせいか、
少しだけ重たくなった瞼が閉じないよう、何とか我慢してる状態で。
そんな私たちの目を、覚まそうと思ったのでしょう。
菜々さんが、何かを思い出したようにポンと手を打つと、
「そうそう、実はですね……今日は皆さんに、とっても珍しいものをお見せしましょう!」
そう言って買い物袋の中から、一通の封筒のような物を取り出しました。
「あれ……菜々さん、それって」
「あっ、杏ちゃんは分かりますよね?」
「分かるけど……フィルム写真のネガじゃん。わざわざ現像して来たの?」
「そうなんですよぉ~。杏ちゃんが『匿ってくれって』北海道から転がり込んで来た際に、
部屋の整理をしたじゃないですか。その時、偶然荷物の中から見つけまして」
「はぁ~、あの時にねぇ。それにしても、今じゃネガを扱ってくれる写真屋さんだって、殆ど無いんじゃあ」
「そこは……昔のツテで。椿ちゃんにお願いして、ちょちょいっと」
中に入っていたのは、いくつもの写真でした。
それもデジタルブックのデータじゃない、ちゃんとした紙に印刷された写真です。
30 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:27:04.47 ID:
TMPHh8lf0
「これ、全部私たちのなんですよ。ほらっ、中には、皆さんのお母さんの写真もありますよぉ~」
机の上に広げられた写真を見て、杏さんが「まるでタイムカプセルだね」と呟きます。
確かに、杏さんの言う通り……そこには私の見覚えのある人の姿がチラホラと。
だけどどれも、今よりずっと若い時の恰好……
あっ、それでも杏さんと菜々さんは、すぐに見つけることが出来ました。
「なんて言うかさ……こういうの見ると、ホントにお母さんたち、アイドルだったんだなって思うよね……」
食い入るように写真を見つめていた、ミヨちゃんが感心したように言った言葉。それには……私も同感です。
だって小さな頃から、繰り返し聞いたママの歌。
繰り返し見返した、ママのライブ映像。
いつだって女の子の憧れ、アイドルというお仕事についていた、
尊敬するべきママの姿が、その写真の束にはしっかりと写し出されてましたから。
31 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:28:31.46 ID:
TMPHh8lf0
だけど、だからこそ……今の、すっかり輝きを失ってしまった、ママの姿が耐えられなくて。
「そういえばさ、この写真見て思ったんだけど」
そんな時、ふとリツ君が言った一言。
「むつ姉のお母さんってさ……ほんと、むつ姉そっくりだよな」
それは、私が小さな頃から、何度も繰り返し言われて来た言葉。
「あれ? 逆か……むつ姉が、むつ姉のお母さんそっくりなんだ」
そして今の私が……一番、聞きたくない言葉。
「そうですねぇ。特にこの、笑った時の顔なんてママそっくりで――」
リツ君の持った写真を覗き込んだ、菜々さんがそう言った時でした。
私は思わずその場から立ち上がると、大声で「違うっ!」なんて、叫んでいて。
驚いた顔で私を見上げる皆の顔を見て、我に返った私は、
「あ、いえ……違う、違い……ます」と、口の中でもごもご。
すると杏さんが、そんな私に向けて言ったんです。
32 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:30:02.09 ID:
TMPHh8lf0
「……なに? お母さんとそっくりって言われるの、そんなに嫌なワケ?」
……それは私が初めて聞いた、杏さんの冷めた声でした。
まるで、人はここまで冷たくなれるのかという程に、感情の無い、鋭いナイフのような一突き。
気づけば私は、ポロポロと涙を流して。
締め付けるような胸の痛みが、その傷口から広がるようで。
そんな私を、オロオロと見上げるミヨちゃんと、リツ君。
そして菜々さんが、私と同じように立ち上がり、
「だ、大丈夫……?」
きゅっ、と。
引き寄せられるままに、私の顔は、菜々さんの胸の中に収まりました。
そうしたら、なんだか、涙が止められなくなって。
だけど、涙を流せば流す程、
私は、嫌いな、ま、ママと同じ……そっく、りに、なって……!!
33 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:31:08.73 ID:
TMPHh8lf0
===
――……私は、ママに憧れて。
だけど私のママは、私の憧れた頃のママじゃ、とっくになくなっていて。
写真や、映像で見るママは、とっても笑顔がキラキラしてて、いつも、誰よりも明るく笑ってた。
そしてパパが居た頃のママも、そんな昔のママに負けないぐらいにキラキラしてて。
だけどパパが居なくなって、それからのママの笑顔は、いつもどこか寂しくて。
そんなママを、私は元気づけることが出来なくて。
お家からは、笑顔も、会話も、次第に減って行って。
夜になると、一人、しくしくと泣いているママの姿も、私は何度となく目にしました。
だから私は……ママが嫌いです。
寂しいのに、大人だからって無理に笑う、大丈夫だよって嘘をつくママが嫌い。
そんなママに似てるって言われる、自分のことも、大嫌い。
だって、私がママに似てるなら、大きくなった私は、ママみたいに寂しい笑顔の大人になる……
そう、皆に言われてるみたいじゃ……ないですか。
34 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:33:14.46 ID:
TMPHh8lf0
===
「だから……パパが一度だけ見せてくれた、昔のママの泣いてる写真……。それが私は、堪らなく嫌でした」
夕陽が、ウサミン星の窓から差し込んで、部屋の中を赤く照らしていました。
ミヨちゃんと、リツ君は、遅くなるといけないからと、一足先に菜々さんのお家を後にして。
……ここに残ったのは、ついさっきまで、泣きじゃくりながら胸のうちを吐き出していた、私一人だけ。
「私のママは、いつだってキラキラしてて。笑顔で、優しくて……だけど、今のママは優しいけど……」
私が話し終えると、それまで黙って聞いていた杏さんが、「……泣き虫なママなんて、ママじゃない……か」と呟きました。
「どう思う? 菜々さん」
「そうですねぇ……」
杏さんから話を振られた菜々さんが、顎に手を当て、考え込むような仕草を見せます。
「ナナにも、なんとなく覚えがありますよ。子供の頃は、大人って……
特に親なんて、これ以上ないぐらい、強い存在じゃないですか」
「……まぁ、そうだよね。杏も、未だに親には頭が上がらないし」
「だから彼女は……そんな強いハズのママが急に見せた、弱さに戸惑っちゃったんじゃ、ないですかね」
そうして菜々さんに、優しく名前を呼ばれ、
私は泣きはらし、うさぎみたいに真っ赤になった目を上げました。
35 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:34:50.64 ID:
TMPHh8lf0
「実はですね……あなたのママには、口止めされてたことなんですけど」
「まさか菜々さん。あのこと……言っちゃうつもり?」
「でも、この子の誤解を解くには、これが一番早いんじゃないかって」
「……知らないよ? 後で文句言われるの、菜々さんの役目だからね」
杏さんが顔をしかめて、ウサギソファに座ったまま、
自分の両耳を塞ぎ、その両目を閉じました。
それは彼女なりの、知らんぷりの表現なんでしょう。
そんな杏さんを見て、菜々さんはくすりと笑うと、
「……あのね、今日の写真の中に、こんな写真があるんですけど」
「……写真、ですか?」
首を傾げる私に、机の上の写真の束から幾枚かを抜き出して、広げて見せる。
それは、どれも私のママが写った写真。
「ママには、内緒ですよ? 私が、後から怒られちゃいますから」
菜々さんが、写真の中のママの顔を、順番に指さしていく。
そこには受けているレッスンが辛いのか、汗だくになりながら泣いているママもいれば、
誰かに驚かされて、びっくりして泣いているママも、何かの罰ゲームなのか、
泥だらけのジャージ姿で、情けなく涙するママもいて。
36 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:37:24.25 ID:
TMPHh8lf0
それは、ある意味初めてみるママの弱さ。
だって私のお家のアルバムには、いつも笑顔のママしか、写ってなんていなかったから。
「どうです? 案外ママって、泣き虫さんでしょう?」
「……でも、それがどうしたんですか。……ママが泣き虫なことなら……私はもう、知ってます」
プイと、顔をそむけるようにそう言うと、菜々さんは、くすくすと可笑しそうに笑い、
「それから、今度はこっちの写真」
再び、写真の束から何枚か抜き出しました。
そうして私は、また泣いているママの写真を見せるのか……
なんて思いながら、菜々さんの持つ写真を覗き込んだんです。
「……えっ?」
それは予想通り、先ほどの泣いていたママの写真の、すぐ後に撮られたと思える写真たちでした。
だから当然、ママは涙を流したまま……だけど、さっきの写真と明らかに違っていたのは、
「ママ……泣きながら、笑ってる……」
どの写真も、直前までは確かに、しくしく泣いていたハズのママ。
けれど、今菜々さんが見せてくれている写真に写るのは、幾度となく繰り返してみた、あのキラキラした笑顔のママで。
37 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:38:44.07 ID:
TMPHh8lf0
「泣いてるのに……こんなに、泣いてるのに……」
「……それから、最後にこの写真」
菜々さんが、そう言って見せてくれたのは、いつかパパが見せてくれた、あの写真。
キラキラとしたステージの真ん中で、沢山の仲間たちに囲まれて歌を歌っているママの写真。
その顔は、見てるこっちが恥ずかしいぐらいにハッキリと、涙の筋が見えているのに。
「……どうです? これが、あなたのママ。この頃は本当に、何度も何度も、彼女の笑顔に元気づけられたものですよ」
「ママの、笑顔に……? こんな、みっともないぐらいに泣いてても……?」
「そうでしょうか? ナナには、どこもみっともなくなんて無い。最高の泣き笑いに見えますけどねぇ?」
「……泣き笑い? 泣いてるのに……笑顔なの?」
「ええ、それが、笑顔の魔法……ナナの覚えている限り、あなたのママは、見た人を勇気づけ、幸せにする……
そんなキラキラした、魔法みたいな笑顔の持ち主でした」
懐かしむような、菜々さんの横顔は、とても優しい顔をしていて、
「勿論、普段の笑顔も素敵でしたけど……こんな風に人を温かい気持ちにさせてくれる泣き笑いなんて、
ナナは、それまで出会ったことがありませんでしたから」
38 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:41:16.17 ID:
TMPHh8lf0
菜々さんの言う通り、古ぼけた記憶なんかじゃなくて、
こうして鮮明に写し出された思い出の写真のママは、確かに菜々さんが言うように、
とってもキラキラした笑顔で写っているように見えるけど。
「で、でも……今のママはこんな風に……キラキラなんて、してません……」
「……だから、最近の私たちはさ。ママみたいな笑顔で笑う女の子を見て……
今度は彼女の代わりに、その子から元気を貰ってるんだよ」
突然聞こえて来た声に顔を上げると、いつの間にか杏さんもソファから立ち上がり、私たちの傍までやって来ていて。
「多分ママも……そうなんじゃないかな? 笑顔の魔法は、有限だから。
人生は長いんだしさ、時には、空っぽになっちゃうことだって、あるんだよ」
私を見下ろす杏さんは、さっきの冷たい印象から、打って変わった優しい顔をしていました。
39 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:43:49.63 ID:
TMPHh8lf0
「そんな時には、さ。きっと誰かが、追加で魔法をかけてあげなくちゃ……例えばそう、こんな風にね」
そうして、杏さんがニタリと笑う。
それは笑顔というには、とっても怪しいものだったけど。
「杏ちゃん。そんな笑顔じゃ、逆に元気を吸い取っちゃいますよ!」
「でもさぁ、杏は昔っから、時折見せるこの邪心の笑みがセールスポイントだし」
「いいですか? 人を元気づける笑顔って言うのはですね、こ~んな風に……」
そう言いながら立ち上がった菜々さんが、クルリとその場で一回転。
「ウサミン星からやって来た、歌って踊れる声優アイドル、ウサミンこと安部菜々ですっ! キャハッ☆」
ポーズを決めた途端に「あぅっ!?」と一声、
真っ青な顔で腰を押さえて屈みこんだ、そんな菜々さんの姿が可笑しくて。
「あっ! ああっ! こ、これは久々に……ウサミン、引退の危機っ!?」
「今回ので、数日ぶり何回目だっけ?」
「れ、冷静に数えてないで良いですから……! は、早く! 早く救助を……!」
「はいはい、菜々さん湿布どこー……って」
そんな中、私の顔を見た杏さんが、うんうんと頷きます。
すると杏さんに釣られるようにして、私の顔を見た菜々さんも、痛みに強張りながらも浮かべた笑顔で言いました。
「そ、そうですよ! その、笑顔です!」
「血筋かなぁ……ホント、そっくりだよ」
「ですね! ナナも、何だか急に元気が湧いて来たような……とぅっ!!」
無理やり立ち上がった菜々さんが、再び「はぅっ!!?」と声を上げて、その場にくしゃりと沈み込む。
そんな彼女を見て、私と杏さんは、お腹を抱えて笑い転げて。
そしてそのうちに、菜々さんも一緒になって笑い始め、
たちまちアパートの中は、三人分の笑い声に包み込まれたのでした。
40 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:45:46.48 ID:
TMPHh8lf0
===
4.
菜々さんのアパートからの帰り道。
私の足は軽く、自然と鼻歌なんかも口ずさんだりなんかして。
曲は……勿論、ママの曲。小学校に上がる前から、何度も、何度も、繰り返し練習し、初めて覚えた、思い出の曲。
「ずっと、すまいりんぐ……しんぎんぐ……♪」
何だか、今まで胸の中につっかえていた沢山のもやもやが、
歌うたびに、口ずさむたびに、星の見え始めた空へと溶けていくようでした。
けれど、お家が見えて来るにつれて、少しずつ、私の足取りは重くなって。
……その理由は、すぐに分かりました。
最近の私は、パパが家を出て行ってからの私は、いつもママに素っ気ない態度ばかり。
……今日だって、そうです。
私は、学校から帰るなり、ろくにママとお話もせず、そのまま外に遊びに行って。
ドアノブに、かけた手が石のように固く。
私は、そのままの恰好で長い間――本当は、たったの数秒だったかもしれないけれど――その場に、じっと立ち尽くしていました。
41 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:48:14.25 ID:
TMPHh8lf0
……ママに会って、どうしよう?
なんて言えばいい? ごめんなさいと、謝るのが先?
それとも、いつものように素っ気ない態度で……ああ、ダメ。
それは、もうしないって、二人にも約束したのに……。
そんなことを、グルグルと考えていた時です。
突然、私の握っていたドアノブが、ガチャリと音を立てて回ったかと思うと、
「あれ……?」
ぐぐいと、外へ押し出された扉の隙間から、ひょっこりと顔を出したのはリツ君のお母さん。
「おやおや? 小っちゃなしまむーのお帰りじゃない」
それから、リツ君のお母さんと一緒に外に出てきたのは、ミヨちゃんのお母さんでした。
「卯月……むっちゃん、帰って来たよ」
「だからさ、むっちゃんだと語呂が悪いから、小さなしまむーで、ちまむーにしようって」
「未央……そうやって人の所の子供に、妙なあだ名つける癖、そろそろ直した方が良いと思うよ?」
「妙なあだ名だなんて……失礼だなぁ! しぶりんは!」
「だから、私ももう渋谷じゃないんだからしぶりんってのはさ……」
二人の言い合いを、ポカンと見上げている間に、
玄関の奥からパタパタと、電話を握ったママが、私のところへ駆けて来ます。
42 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:50:25.95 ID:
TMPHh8lf0
その顔は今にも泣きだしそうで、困ったような、辛いような、そんな顔にも見えて。
「あ、ま、ママ……!」
言いたいことが、頭の中でまとまらない。口が、思うように動かない。
だけど、ママはどんどん、私との距離を縮めていきます。
言わなくちゃ、言わなくちゃと思えば思う程、私の口は、貝みたいに固く閉じてしまい。
……玄関マットの上までやって来て、ママはようやく立ち止まりました。
すると私の背中を優しく押すようにして、リツ君のお母さんが、私を玄関の中に招き入れます。
「た……ただい、ま……」
それは――ゆうに一ヶ月ぶりに口にした、「ただいま」でした。
それも顔は伏せたまま、たどたどしく、相手に届くかどうかもわからない程に小さな、「ただいま」
「……お帰り、なさい」
だけどママは、ちゃんと私にお帰りを返してくれて。
トンと肩を叩かれて顔を上げると、ミヨちゃんのお母さんが、ニコニコしながら前を指さします。
その、指の先には……いつもと変わらない、寂しそうなママの笑顔。
だけど、本当はそうじゃないことを、今の私は……知っているんです。
43 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:52:04.44 ID:
TMPHh8lf0
「た……」
ママの笑顔は、私そっくり。私の笑顔も、ママそっくり。
なら、私の笑顔も……誰かに魔法を、掛けられるハズだから。
「た……ただいま……ただいまっ、ママっ!」
精一杯の、とびっきりの、私らしい、私だけの笑顔。
思い出すのは、今日あった楽しいこと。ママに伝えたい、私が笑顔になれたこと。
ママも笑顔になれるような、私が幸せに思ったこと。それを、全部、全部この笑顔に乗せて……――。
すると最初はビックリしてたママの顔が、また、さっきみたいに泣き出しそうになって……だけど、今度は違ったんです。
「うん……お帰りっ」
大人が泣くなんて、みっともないと思ってた。大人が寂しがるなんて、カッコ悪いと思ってた。
……だけど今のママは、全然みっともなくも、カッコ悪くも無くて。
だって、今のママの顔はね?
菜々さんが言ってたみたいに最高の……最高の、最高の、とびっきりの、『泣き笑い』だったから!
44 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:52:40.65 ID:
TMPHh8lf0
※ 以下、エピローグと言う名の蛇足
45 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:55:04.60 ID:
TMPHh8lf0
===
エピローグ
「少女の知らない、舞台裏」
すぴすぴと、可愛い寝息を立てる我が子の寝顔を覗き込み、卯月はくすくすと微笑みながら呟く。
「ご飯を食べたら、すぐに寝ちゃって……よっぽど、遊び疲れてたのかな?」
すると、彼女と一緒にソファに横たわる少女の顔を覗き込んでいた凛が、
「どうかな? 緊張してたのもあると思うよ」と言うと、
「だね。何せこの子にとっては、初めての経験だったろうし」と、
少女にタオルケットを掛けていた、未央がくっくと可笑しそうに笑いながら頷いた。
すると未央の言葉を聞いた卯月が、よく分からないといった風に眉をひそめて尋ねる。
「初めての経験って……未央ちゃん、それ、どういう意味ですか?」
「だからさ、反抗期って言うか、そんな感じの。ほら、ちまむーちゃんって、この年にしちゃ落ち着いてて、ソツがないじゃん?」
「未央、ちまむーじゃなくてむっちゃんだよ」
「今まであんまりワガママを言ったり……面と向かって親に、
自分の気持ちを打ち明けるようなこと、無かったんじゃないかなー……なんて」
「それは……言われてみると、そうですね。ウチの子は、ミヨちゃんと比べると確かに大人しめで。
私も、手が掛からないからって、甘えてたところ……あったかも」
「いや……ウチのミヨは、あれはあれで騒がしすぎるだけっていうか。
今日だってしぶりんのとこの子と一緒に戻って来たと思ったら、泣きながら大声でむーちゃんが、むーちゃんがって」
46 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:56:50.65 ID:
TMPHh8lf0
そうして「まいったまいった」と両手を広げる未央に続いて、凛が言う。
「だね。その後、未央がすぐ私のところまで飛んできて」
「そのまま、ココに直行だもん。もうね、私はとうとうミヨが、ちまむーに怪我でもさせたんじゃないかって大慌てでさぁ」
「……だけど話を聞けば、どうもウチのリツが原因作ったみたいで」
「そ、そんなことないですよ! 電話をくれた菜々さんの話だと、この子が悩んでた原因は……私自身に、あったんですから」
三人のいるリビングが、少しだけ暗い雰囲気に包まれた。
だが、そんな雰囲気を変えようと、未央が明るい口調で話し出す。
「で、でもでも! そんなしまむーが落ち込んでた原因もさ、今日で解消されるんだよね?
確か聞いてた話だと、あの人が帰って来るの、今日の予定だって言ってたし!」
「そういえば、そうだね。今回は、何処に行ってたんだっけ? 南米? シベリア? ヨーロッパ……はこの前か」
47 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 20:59:40.15 ID:
TMPHh8lf0
未央と凛の二人が、そうして「エジプトかな?」「アフリカも、行ったんだっけ?」
などとあちこちの地名を上げる中、おずおずと卯月が口にしたのは、
「うう……今回は、国じゃないんです」
「国じゃない?」
「じゃあ、どこさ」
「あの、船に乗って……新規事業の、宇宙漁業の体験を三ヶ月。それも、連絡も取れないような場所にです」
「三ヶ月のうえに、今回の行き先は宇宙ですかぁ……」
「卯月、結婚してからそんなに離れてたのって、久しぶりだったでしょ?」
「そうなんですよぉ……だからもう、毎日寂しくて寂しくてぇ……!」
ポロポロと泣き出してしまった卯月の姿を見て、やれやれとため息をつく凛と未央。
「こりゃあ……ちまむーも心配するワケですよ」
「卯月は、ちゃんと説明してたの? お父さんは、お仕事で家を空けてるんだって」
「も、もちろんですよ! だけど、私がこんな調子だから……この子、パパが家を出て行ったと、勘違いを……」
「あー、もー……久々に当てられてるよ。忘れてた、この感覚」
「……だね。昔はもっと頻繁だったし、泣いてる卯月を慰めるのもしょっちゅうだったし」
「ち、ちひろさんも意地悪なんです!
もうそろそろ子供も落ち着いた頃でしょうからって、半ば無理やり、嫌がるあの人を連れ出して!」
「その隣には、やっぱりあの子も?」
「うぅ、ぐすっ……幸子ちゃん、ですか?」
「いたんだ。やっぱり」
48 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 21:02:25.99 ID:
TMPHh8lf0
三人が思い出すのは、チャームポイントの外ハネが愛らしく、
可愛らしくも逞しい、アイドル界きっての冒険家。凛が、肩をすくめて言葉を続ける。
「幸子も、今じゃベテランもいいとこなのに……未だに世界中を飛び回されて……大変だよね」
「だからって、それに人の家の旦那さんを、付き合わせることなんてないじゃないですかぁっ!」
「しょうがないよ。しまむーの旦那、昔っからさっちーも担当してたし」
「……幸子が出てる番組の方でも、半ば名物キャラクター化してたもんね。
どんな無茶振りにも、幸子と一緒に対応するっていうさ」
「そうです! それも悪いんですっ! あの子ったら、パパが家を出て行ったのは、幸子ちゃんのところに行ったからだって!」
「ひぇっ……修羅場」
「それは、お仕事が大事なのも分かりますけど……だけど今までは、
どんなに長くても一週間で帰って来たのに……それがいきなり、三ヶ月ですもん、三ヶ月ぅ……。
まだ小学生のウチの子が誤解したって、おかしくもなんともないですってばぁ……!」
49 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 21:03:53.38 ID:
TMPHh8lf0
そうして再び、泣き出してしまった卯月を見て、未央は降参するように両手を上げると、
「あー、もー、分かった! 分かったから! しまむーの日頃の鬱憤は、私たちがちゃんと聞いてあげるから!」
「まったく、むっちゃんは大人に一歩近づいたのに、卯月は年々幼くなってる気がするよ」
凛もそんな未央に同意して、うんうんと頷きながらそう言うのだった。
――こうして旧友三人で飲み明かし、語り明かす夜は更けて。
件の旦那さんが家に戻って来たのは、その日の日付が変わろうかという直前であったらしい。
ちなみにこれは完全なる余談だが、ようやくの思いで我が家に戻った彼のことを、卯月はとびっきりの笑顔で出迎えたという。
「笑顔の奥に、修羅がいた。寂しんぼになっていたママを慰めるために、パパは物凄く頑張りました」とは、後に彼が病室で、長女にこぼした一言だ。
50 :
◆Xz5sQ/W/66 2016/10/08(土) 21:06:34.85 ID:
TMPHh8lf0
===
以上、おしまいです。
卯月と、彼女の笑顔をメインにしたネタっていうのは、前々から書いてみたかったんだけど……
気づけば話の語り手が、彼女の子供になっていて。
流石に子供が三人も出て来るし、皆「pちゃん」もどうだろうと思い、それぞれの母親に関連した名前を用意したりもしました。
卯月の娘は、彼女に関連する駆逐艦から拝借。語感も、大体一緒ですし。
本当に旦那は出て行ったとか、実はニュージェネ三人の旦那は同一人物で、数ヶ月ごとに持ち回りで家族してるとか、
そういうろくでもない考えもあったんですが、やっぱり物語はハッピーエンドだろうと。
旦那さんには(ついでに幸子にも)宇宙漁業とかいう、
何やら怪しげな体験に出掛けてもらうことにしたのが、今回のエピローグになります。
後、作中に出て来る眼鏡型端末は電脳コイルの眼鏡。
ぷちデレラバトルは、メダロットみたいなイメージでした。
それではここまで長々と、お読みいただきありがとうございました。
SS速報VIPに投稿されたスレッドの紹介です
元スレ:
【モバマスss】「私はママが、大嫌い」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1475923361/
ちょっと回りくどく感じる部分もあったけど、いい作品でした。
・・・逆に、(コメディ風でもいいから)ニュージェネ三人の夫を掛け持ちするPの話を作ってもいいのよ?(届かぬ思い)